「独り静まる生活」 ルカの福音書9章10~11節
かって高度経済成長時代に、社会問題となった「燃え尽き症候群」「過労死」という言葉があります。厚生労働省がこの問題を深刻に受け止め、労働基準法の一部改正により「時間外労働の削減」「年次有給休暇の有効活用」などを、積極的に政策としてすすめました。今でも人は適度な休みを必要とする生活に変わりはありません。 本日の聖書箇所はまさにこの問題について語っております。「イエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。」(ルカ9:10)という 『退く生活』 の持つ意味がどんなに重要かを主イエスのお言葉が示しております。マルコの福音書はルカの福音書よりもこの事について詳しく書いております。マルコ6章31~33節を見ますと、12人の弟子たちが伝道旅行から帰ってきます。その彼らに「さあ、あなた方だけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われ、弟子たちは人里離れた場所に、静養のために退いたことが記されております。なぜ主イエスは弟子たちに休むように言われたのでしょうか。それは第一に主ご自身がその必要を痛感しておられたからです。誰よりも忙しく働かれた主イエスは、伝道や教会の奉仕は、どこまでいっても、これでいいということがない。そのため無理をしたり、忙し過ぎたりしているうちに、疲れがたまり心身にさまざまな問題や症状が起こってくることを、主はご存知であられたからこそ、弟子たちに休むようにすすめられたのです。さらに主は休むことの困難さを知っておられたからこそ、強いてでも弟子たちを休ませようとされたのです。あのルカの福音書10章41節の「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。」という主イエスのお言葉のように、私たちもいろいろなことに気を使って落ち着かないのです。しかし教会生活も、日々の生活においても「必要なことはわずかです。」(ルカ10:42)そのため私たちは、今の生活を見直し整理する必要があるのです。 神は人を休むように創造されました。この休むということの最も美しく、尊い姿が、主を礼拝し祈ることにあらわされます。主の日に礼拝を守ること自体が、主に喜ばれる最高の奉仕であることを覚えましょう。今主イエスは招いておられます。「私のもとに来なさい。そうすればこの私があなたがたに安らぎを与えよう。」(マタイ11:28)現代の忙しい時代に生きる私たちは、日々の生活から「ひそかに主イエスのもとに退き」休ませていただきましょう。命の源であり、力の源である主イエスだけが、私たちに安らぎを与え、ホット息をつかせてくださるのです。
「主イエスにお会いしたい」 ルカの福音書9章7~9節
「そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」(ルカ9:9)この言葉は国主ヘロデの当惑と不安な思いから吐き出された言葉でした。彼は洗礼者ヨハネを処刑したことの悪夢に悩まされ、心が休まる時がありませんでした。今うわさで流れているイエスは、洗礼者ヨハネではない。ヨハネは自分の手で殺したから。ではイエスとは「いったいだれなのだろう。」(ルカ9:9)国主ヘロデはイエスに会って、自分で確かめたくなったのです。少しでも自分の不安を軽くするためでした。その願いは実現します。十字架を目前にしたイエスと会うことが出来たのです。(ルカ23:6~12)その時イエスは、あの洗礼者ヨハネと同じように、囚われ人としてヘロデの前に立たれました。そのヘロデの期待に反して、何も奇跡を行わず沈黙するイエスの姿がそこにありました。しかし、それはまたヘロデを喜ばせたのでした。何だこの男も自分の手の内に入ってしまったのではないか。こんな無力な男のことを、なぜ自分は長いこと不安に思い続けていたのか。彼は改めて自分がどんなに力ある者かということに満足しながら、自分の部下と一緒にイエスを愚弄したのです。しかし、彼は何も分かっていなかったのです。からだを殺しても魂を殺すことの出来ない者を恐れるな、むしろからだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなければならないことを。(マタイ10:28) 「イエスに会いたい。」これは国主ヘロデとは別の意味で、すべてのキリスト者の願いであります。私たちは「いま見てはいないけれども、信じており、ことばに尽くすことのできない栄えに満ちた喜び。」(第一ペテロ1:8)を与えられております。しかし、主イエスが再び来られる「その日に、主イエスは、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の感嘆の的となられます。」(第二テサロニケ1:10)それほどのまだまだ私たちの知り尽くせない、素晴らしい主イエスを与えられていることを感謝し、日々「主イエスにお会いしたい。」という思いをより強く深めてまいりましょう。
「食べて生きる命とは何か」 創世記2章16~17節
人間とは食べて生きる。そして食べて死ぬ存在である。これが聖書の人間についての定義です。「園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」(創世記2:16)神に似せて造られ、神の命を吹き込まれて生きる者となった人間は、何によって生きるのか。それは神が与えてくださるものをいただいて生きるのです。しかしただ生きるのではない。そこに生きる理由、目的がなければなりません。そのために人間は、土を耕して命を生み出すために働くのです。(創世記2:15)それを通して人間は人として生きるのです。一方「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)と命じられているのです。これは神が「あなたは死んではならないから、食べてはいけない。」と命じておられることなのです。神は人間が死ぬことを求めておられないのです。このように神は人が人として生きるために、「食べなさい」「食べてはならない」という神の語りかけに、応えて生きる者として創造されました。従って神の語りかける言葉をどう聴き、どう応答するのかは、人間の自由にまかされております。そしてその自由には責任がともないます。神は人間を機械的にではなく、自由と責任をお与えになられたのです。しかし人間は、「食べてはならない。」という神の禁止命令に反して「善悪の知識の木」から取って食べてしまい、その結果「あなたは必ず死ぬ」という責任を負わなければなりませんでした。けれども神は人間が再び食べて生きることができる道を用意してくださいました。それは教会で行われている聖餐式にその事が表わされております。主イエスが最後の晩餐において、パンを裂き弟子たちに与えながら言われた言葉、「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」(マタイ26:26)そして杯を渡しながら言われた言葉、「みなこの杯から飲みなさい。これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:27~28)どちらも命令の言葉です。この言葉を真実に聴きつつパンを食べ、杯を飲む者は罪赦されて、永遠に生きる命を与えられるのです。主イエスは「わたしはいのちのパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。わたしの肉を食べわたしの血を飲む者は永遠のいのちを持っています。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」(ヨハネ6:51~55)と確かな約束をしてくださいました。私たちはこのパンを食べ、この杯を飲みつつ、主イエスと一緒に生きるように招かれているのです。いいえ命令されているのです。
「ひとり立ちする弟子たち」 ルカの福音書9章1~6節
子供が親の手を離れてひとり立ちするまでには、それなりの手間ひまがかかっております。主イエスの弟子達もそうでした。主イエスは徹夜で祈られたあと、弟子たちの中から12人を選んで、彼らに「使徒」という名をつけられ(ルカ6章12~13節)、手元に置いて教育し、訓練してきました。それは今までひとりであったバラバラの状態から、主イエスに呼び出され、主イエスに従うようになり、次に主イエスと一緒にいる段階へと進み(主イエスとの交わりの生活)、そして神の国を宣べ伝えるために、人々のところへ派遣される段階に至ります。このような手順を踏んで、いよいよ弟子たちはひとり立ちするのです。それも主イエスが持っておられる悪霊を追い出し、病気を直す力と権威を与えられて、主イエスと同じことをするために弟子たちは遣わされたのです。そして、この12人の弟子たちを伝道の第一線に送り出すにあたって、主イエスが何よりも大切に思ったことは、何を語るべきか、何を伝えるべきかということよりも、どのような人間として福音宣教をするのかということでありました。主イエスの弟子としての在り方、生き方のほうが、弟子たちの語る言葉よりも、福音そのものを語るのだ、説得力を持つのだと主イエスは言われたのです。ですから「旅のために何も持って行かないようにしなさい」(3節)という、伝道する者の心構えとも言うべき、この主イエスの言葉は、ずいぶん激しく、きびしい要求であります。主イエスと同じ使命に生き、同じ働きに遣わされる者が、この世の人々のように思い煩い、準備に心を労することがあってはならない。天の父なる神への信頼を語り告げる者自身が、その天の父なる神に全き信頼を寄せ、これらのものは全て必要なら与えられるという、生き方をしなければならないのです。今朝わたしたちもこうして主イエスのもとに呼び集められ礼拝を捧げています。それは主イエスのお言葉を聞くだけではなく、「遣わされる」(2節)ためです。それはこの主イエスを知らないこの世に散らされて行くことです。しかもわたしたちは、この世で新しく何かを始めるのではなく、すでに主イエスが始めていてくださる業を継続し、その実を収穫するだけです。そのために私たちは、父なる神に全て信頼し、主イエスが力を与えてくださることを確信し、主の使節、喜びを告げる使者として今週も遣わされてまいりましょう。
「神の和解を受け入れなさい」 コリント人への手紙第二5章17~20節
皆さんは、朝、家族や兄弟とケンカしたまま、家を飛び出して職場や学校に行くと、一日どんな気分でしょうか。おそらく仕事がうまくいっても、勉強が出来ても、或いは、美味しい物を食べても何となく喜びが半減してしまうということがありませんか。私たちは、大切な人との関係が壊れている限り心から喜ぶことは出来ないものです。そして、心に元気がないと、外側をどんなに着飾っても、淋しさが顔に表れたり、ポッカリと穴が空いたように虚しいのです。そんな時「相手が悪いんだから」と、自分に言い聞かせても、それで心が晴れるかと言えば、なかなか難しいのが現実です。 聖書の中に登場する人物にヨセフという人がいます。彼の人生は波乱万丈の人生でした。彼はエジプトのパロ王に次ぐ、総理大臣にまでのぼり詰めた人です。この世においては、名誉も財産も持った成功者と呼ばれてもおかしくない人でした。しかし、彼の心には常に淋しさがあり、ポッカリと穴が空いた状態だったのです。それは、彼が青年時代に経験した暗い過去の出来事が傷となっていたからでした。一言で言うなら「和解」という問題の解決がなされていかったからです。 皆さんは和解しておられるでしょうか。夫婦、親子、友人や職場の人…どこかに仲直り出来ずに残している問題はないでしょうか。それが、あなたの心を暗くしたり、時には、和解がないためにイライラして他の人に辛くあたってしまうということがあるかも知れません。もしそうなら、少しでも早く和解の問題を解決しなければなりません。その和解の方法を、聖書から共に分かち合いたいと思います。 「和解するために何が必要か。」聖書は、神との和解が最初になされる必要があると教えています。神との和解がなければ、すべての和解は不完全なものになってしまうのです。天地万物を造り、私たちを造られ命を与えて下さる神がおられるのです。その神を無視して人生を送り続けるなら、そこには神様との和解はありません。神様との和解こそ、私たちの人生における、最も必要なことなのです。 聖書はあなたに勧めています。「神の和解を受け入れなさい。」と。
「歴史の今をどう生きるのか」 使徒の働き7勝51~60節
敗戦から67年目の8月15日を迎えております。今、日本は少しづつ右寄りの波が押し寄せつつあります。1999年に国旗国歌法案が可決され、東京都、大阪府では式典で君が代を歌わない教員を処罰する露骨な動きが問題となっております。このような状況の中で私たちは、キリスト者として歴史の今をどう生きるのか、そのことが問われております。その生き方を私たちはステパノから学ぶことができます。ユダヤ人たちは自国の歴史を誇り高い神の選民の歴史としてだけ見ようとしました。そのため神に背き、預言者たちを迫害した先祖の歴史を正当化し、自国の民族の歴史を丸ごと肯定しようとしました。その姿勢をステパノはきびしく批判したのです。この使徒の働き7章に描かれている事は、かって日本の国が犯した歴史の誤り、そして今もその危険性を秘めている状況と二重写しになっております。かって日本は「皇国史観」という歴史観をもって太平洋戦争に突入しました。皇国史観は自国の歴史は誤りのない絶対なものであるとし、世界の歴史の中で日本の歴史を正しく見つめることができませんでした。戦後、日本は過ちを正しく評価し、民主的そして平和主義の立場で歴史を見つめ歩んできました。しかしそれを「自虐的歴史観」として攻撃して、皇国史観の復活を計ろうとする人たちが声をあげています。このような状況の中で、私たちはキリスト者として、歴史の今をどう生きるのか、そのことが問われております。戦時中日本の教会は「君が代」をうたい、神社参拝をし、戦争に協力しました。私たちは先人たちが犯した過ちを二度と繰り返さないために、キリストの証人として、歴史の今をしっかり見つめて歩みたいのです。歴史は過去だけにとどまることなく、やがて主イエスが来られる世界にまで続くことをステパノの証言から学び、その時まで、日本に生きる私たちは、神さまから遣わされたこの国の歴史、そして日本のキリスト教会の歴史を学んで、私たちに与えられた使命を果たさなければなりません。教会こそ、この地上における神のみこころを明らかにし、使命をもって歩む責任が委ねられています。ですから聖書からしっかり学び、御言葉に堅く立ち、この時代にあって何に立ち向かうべきかを知り、キリストの証人としての使命にいきましょう。
「神の創造といのち(3)―生命の神聖さ―」 詩編139篇13~17節
「いのち」をどう捉えるかは、今日キリスト教のみならず、多くの宗教にとっても避けることのできない問題です。この「いのち」の問題を考える上で大切なことは、詩編の作者が強調しているように、私たちのいのちは神の眼差し、神の愛、神との深い関係を土台としているということです。本日の詩編は、人間である「わたし」が神に対して「あなた」と呼びかけています。神もまた人間にむかって「あなた」と呼びかける温かい眼差しをもって語りかけます。人間は神から「あなた」と呼びかけられる存在として創造されています。神だけがいのちの主として、人間のいのちの時を定め、どのように死を迎えるか、死に方を決定されます。このようにいのちは、神からの賜物として人間に与えられたので、どんな状態にあっても、生命活動は絶対的な価値があり、生かし続けなければならないという考え方を「生命至上主義」英語で「ヴァイタリズム」といいます。身体の生命の活動維持を絶対のことと考えます。しかし、キリスト教は生命を尊重する立場であっても、単なる「生命至上主義」ではありません。ここにいのちの問題に関連して、安楽死や延命治療、尊厳死など現代社会がかかえている課題に私たちは直面しております。特に延命技術の進歩、そして過剰な延命至上主義の医療によって、精神的、身体的苦痛に耐えなければならないという非人間的な生き方を強制し、人間の尊厳にふさわしい死を許されない現代の医療技術と、どう向き合えばいいのか、その事を私たちは問われております。私たちは神とのかかわりという観点から生と死を理解し、行動しなければなりません。私たちは神の御旨に逆らってでも、どのような代価を払ってでも、またどのような手段を用いてでも、生命の延長を至上命令として求める「生命至上主義」に陥ることなく、神との交わりにあるいのちを大切にするよう召されているのです。死は「生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ書14:8)と確信しているキリスト者にとって、最終的な敵ではないのです。
「喜びと悲しみの世界を生きて」 サムエル記第一 8章1~6節
私たちの歩む人生とは決して単純なものではありません。その中身はどれ一つとして同じものはなく千差万別、変化に富んでいます。世間的には順調でしあわせそうに見える人が、その胸中に苦悩を抱えており、反対に恵まれない条件の中にあって、心豊かに生きている人もいます。私たちの人生とは、幸いと不幸、喜びと悲しみ、安らぎと不安という二つの世界がいつも同居しております。本日の主人公サムエルもこのような二つの世界を生き抜いた人でした。サムエルは、母ハンナの涙と祈りから生まれた子供でした。彼は幼い時から祭司エリのもとで教育を受け、「主の前で育った」(サムエル記第一2:21)人でした。何か聖なる、澄んだ印象を与える存在感があります。しかしサムエルが育った環境は望ましいものではありませんでした。祭司エリの息子たちは「よこしまな者で主を知らず」(サムエル記第一2:12)彼らの罪は「主の前で非常に大きかった。」(サムエル記第一2:17)ので、祭司エリの家は、神に裁かれて悲惨な終わりを迎えるのです。これらの出来事を祭司エリの側に居て、サムエルはすべてを見届けたのです。主の宮にあっても、つまずきの多い材料がいくらでもあるのです。しかし神は望ましくない状況にあっても、サムエルを導かれるお方なのです。やがて成人したサムエルは預言者としての働きに任じられると、偶像礼拝をやめさせ、ペリシテ人との戦いに勝利し、イスラエルに安定をもたらし、大きな業績を残しました。しかし、彼もまた祭司エリと同じ深刻な息子の問題で苦しまなければなりませんでした。彼の二人の息子たちは「さばきつかさ」であったが「父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」(サムエル記第一8:3)のです。この息子たちの堕落はどれほどサムエルを悩ませたことでしょうか。子どもたちの問題は心身にこたえるものです。さらにこの事が引き金となってサムエル自身も引退を迫られるのです。彼はイスラエルが大きく変わろうとする歴史の転換期において、預言者、士師また祭司としての役割を果たした偉大な人物でありましたが、その生涯はエリの家の親子問題、わが子の不道徳問題、民の背反、サウル王の不従順と失脚など、厳しい人生であり、心身ともに重圧に苦しむ日々であったと思われます。サムエルはこれらをどのようにして受け止めつつ前に進んで行ったのでしょうか。それは「サムエルは主に祈った。」(サムエル記第一8:6)という姿勢にありました。祈るということは、それはどんな時も神から離れず、前進するということなのです。神のみ心に自分を従わせようとする、その調整の時なのです。この姿勢は彼が祭司エリから学んだことでした。エリはサムエルから神の裁きが下ることを告げられた時、「その方は主だ、主のみこころにかなうようなことをなさいますように。」(サムエル記第一3:18)というエリの言葉をサムエルは忘れませんでした。私たちの人生は決して楽な道ではありません。いろいろな問題に直面しながら生き抜かなければなりません。その時に、私たちを支えてくれるもの、それは「サムエルは主に祈った。」という姿勢であり、エリの「その方は主だ。」という信仰の言葉なのです。
「主イエスの覚悟」 ルカの福音書9章28~36節
「イエスの変貌(変容)」と呼ばれるこの箇所は、教会の画家たちが喜んで描いた題材でした。その中でもフラ・アンジェリコの絵は、地上の人としてのイエスのご生涯において、ただ一度だけ栄光の輝きを見せた瞬間を黄色系の一色だけで描きました。今、旧約聖書を代表するモーセとエリヤがイエスと語り合う光景は、映像的には光に満ちた輝く場面であっても、そこで語られている内容は、逆に悲惨な、むごたらしい、主イエスの十字架の死が語られていたのです。その重要な場面にモーセとエリヤが選ばれたのは何故なのでしょうか?エリヤは北イスラエル王国の預言者として、主なる神を捨てて、バアルの神を信仰するアハブ王を非難し、生涯をかけて戦った人でした。彼の使命はイスラエルの民が主なる神を礼拝するよう、純粋な信仰に立ち帰らせることにありました。ゆえに旧約聖書最後のマラキ書には、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。」(マラキ4:5)と記されており、神の審判の前に、人々の悔い改めと主なる神へ立ち帰らせる働きをする、エリヤのような預言者が遣わされるのです。同じようなことは、モーセについても言えます。モーセもまた神から「解放者」としての召命を与えられ、エジプト脱出後、荒野の40年の旅を通して、イスラエルの民から絶えず裏切られ、最後にイスラエルの民全体の罪を負うて、神から約束の地に入ることを禁じられ、その生涯を終えた人でした。主イエスもまた、人々からののしられ、はずかしめられ、裏切られて十字架で殺されるのです。つまりここで起こっているのは、人間的に見ればまさしく悲劇の主人公の三人の対話であったのです。そして最も悲劇的な出来事「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話していた。」のです。(ルカ9:31) ルカはこの「ご最期」という言葉に「彼のエクソドス」という原語を用いました。「旅立ち、出発」を意味する言語です。特に、エジプトから脱出(出エジプト)やこの世からの「旅立ち」すなわち「死」をあらわす言葉です。ルカがあえてこの原語を用いたのは、イエスの死が人類救出のための「第二の出エジプト」であることを強調したかったのです。私どもにとって最も厳しい闇は「死」であります。その死について主イエスは語られたのです。それはまた主イエスが死んでくださらなければどうしようもなかった、私ども人間の罪からの救いを語り続けておられたということでしょう。モーセとエリヤは共に、神の救いのご計画を神の御子イエスと語ることができた貴重な時間だったのです。
「主の死の教育」 ルカの福音書9章28~36節
人は病院で生まれ、病院で死を迎える。これが生と死の現代社会の姿であります。かって日本社会は、日常生活の中で生と死を間近に見ることが出来、触れることが出来ました。家で出産し、家で家族に看取られながら死を迎えました。それが当たり前の生活でした。今は生も死も私たちから隔絶されたところでの出来事になってしまいました。 さて主イエスと生活を共にしていた弟子たちは、死を間近に見る機会を与えられていました。特に主イエスは、ペテロとヤコブとヨハネの三人に対して、死の教育に注意を払われておられました。①ヤイロのひとり娘の死(ルカ8:49~51)②主イエスの最期について(ルカ9:28~31)③ゲッセマネの祈り(マルコ14:32~34)これら三つの出来事に共通していることは、「死」が中心の主題であり、この場面に必ず、三人だけを立ち合わせておられたということです。この事実は確かに重要な意味を含んでおります。ヤイロの娘の死については、3人は主イエスが死を支配されるお方であることの目撃者でした。山上では栄光の主の姿を目の当たりにすることが出来、死を寄せつけず、死を超越した主イエスが、やがて完成されるべき、ご自身の十字架の死について、モーセとエリヤと話し合われておられる姿の目撃者でした。ゲッセマネの園では、十字架の死を前にして恐れおののく、死に支配される姿の目撃者でした。このように三つの死に関する場面に触れさせ、それぞれの死の意味を考えさせ、死の教育を与えられたのです。特にベテロは晩年自分の死について、ペテロの手紙第二1章15節で、主イエスの栄光の目撃者としての証言を語る中で自分の死について「私の去った後に」という表現を使いました。この言葉はペテロがあの主イエスの変貌の山上で聴いた、主イエスの「エルサレムで遂げようとしておられるご最後について」(ルカ9:31)という同じ言葉を使いました。ペテロは主イエスの死を意味する「ご最期について」という言葉を決して忘れはしなかったのです。この言葉を用いたペテロは、自分の死を主イエスの十字架の死とのつながりの中で見つめ、自分の死の意味を理解したのです。「主イエスと共に在る死」「主イエスと共に死にゆく者」、これこそがペテロが理解した自分の死の意味でした。 子どもの時から、しっかりした死生観を育む必要が叫ばれている今日、死が何であるかを子どもたちに伝えるのは、大人の役目です。そのため主イエスは聖餐式を通して死について考えさせ、記憶させ、死の教育を私たちに続けておられるのです。