礼拝メッセージ

9月16日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「独り静まる生活」             ルカの福音書9章10~11節

かって高度経済成長時代に、社会問題となった「燃え尽き症候群」「過労死」という言葉があります。厚生労働省がこの問題を深刻に受け止め、労働基準法の一部改正により「時間外労働の削減」「年次有給休暇の有効活用」などを、積極的に政策としてすすめました。今でも人は適度な休みを必要とする生活に変わりはありません。                                                                               本日の聖書箇所はまさにこの問題について語っております。「イエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。」(ルカ9:10)という 『退く生活』 の持つ意味がどんなに重要かを主イエスのお言葉が示しております。マルコの福音書はルカの福音書よりもこの事について詳しく書いております。マルコ6章31~33節を見ますと、12人の弟子たちが伝道旅行から帰ってきます。その彼らに「さあ、あなた方だけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われ、弟子たちは人里離れた場所に、静養のために退いたことが記されております。なぜ主イエスは弟子たちに休むように言われたのでしょうか。それは第一に主ご自身がその必要を痛感しておられたからです。誰よりも忙しく働かれた主イエスは、伝道や教会の奉仕は、どこまでいっても、これでいいということがない。そのため無理をしたり、忙し過ぎたりしているうちに、疲れがたまり心身にさまざまな問題や症状が起こってくることを、主はご存知であられたからこそ、弟子たちに休むようにすすめられたのです。さらに主は休むことの困難さを知っておられたからこそ、強いてでも弟子たちを休ませようとされたのです。あのルカの福音書10章41節の「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。」という主イエスのお言葉のように、私たちもいろいろなことに気を使って落ち着かないのです。しかし教会生活も、日々の生活においても「必要なことはわずかです。」(ルカ10:42)そのため私たちは、今の生活を見直し整理する必要があるのです。 神は人を休むように創造されました。この休むということの最も美しく、尊い姿が、主を礼拝し祈ることにあらわされます。主の日に礼拝を守ること自体が、主に喜ばれる最高の奉仕であることを覚えましょう。今主イエスは招いておられます。「私のもとに来なさい。そうすればこの私があなたがたに安らぎを与えよう。」(マタイ11:28)現代の忙しい時代に生きる私たちは、日々の生活から「ひそかに主イエスのもとに退き」休ませていただきましょう。命の源であり、力の源である主イエスだけが、私たちに安らぎを与え、ホット息をつかせてくださるのです。

                                                                              

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