礼拝メッセージ

8月19日(日) 礼拝メッセージ要旨    青木稔牧師

 

「神の和解を受け入れなさい」    コリント人への手紙第二5章17~20節

皆さんは、朝、家族や兄弟とケンカしたまま、家を飛び出して職場や学校に行くと、一日どんな気分でしょうか。おそらく仕事がうまくいっても、勉強が出来ても、或いは、美味しい物を食べても何となく喜びが半減してしまうということがありませんか。私たちは、大切な人との関係が壊れている限り心から喜ぶことは出来ないものです。そして、心に元気がないと、外側をどんなに着飾っても、淋しさが顔に表れたり、ポッカリと穴が空いたように虚しいのです。そんな時「相手が悪いんだから」と、自分に言い聞かせても、それで心が晴れるかと言えば、なかなか難しいのが現実です。                       聖書の中に登場する人物にヨセフという人がいます。彼の人生は波乱万丈の人生でした。彼はエジプトのパロ王に次ぐ、総理大臣にまでのぼり詰めた人です。この世においては、名誉も財産も持った成功者と呼ばれてもおかしくない人でした。しかし、彼の心には常に淋しさがあり、ポッカリと穴が空いた状態だったのです。それは、彼が青年時代に経験した暗い過去の出来事が傷となっていたからでした。一言で言うなら「和解」という問題の解決がなされていかったからです。 皆さんは和解しておられるでしょうか。夫婦、親子、友人や職場の人…どこかに仲直り出来ずに残している問題はないでしょうか。それが、あなたの心を暗くしたり、時には、和解がないためにイライラして他の人に辛くあたってしまうということがあるかも知れません。もしそうなら、少しでも早く和解の問題を解決しなければなりません。その和解の方法を、聖書から共に分かち合いたいと思います。                               「和解するために何が必要か。」聖書は、神との和解が最初になされる必要があると教えています。神との和解がなければ、すべての和解は不完全なものになってしまうのです。天地万物を造り、私たちを造られ命を与えて下さる神がおられるのです。その神を無視して人生を送り続けるなら、そこには神様との和解はありません。神様との和解こそ、私たちの人生における、最も必要なことなのです。 聖書はあなたに勧めています。「神の和解を受け入れなさい。」と。


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