礼拝メッセージ

10月10日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「ただ信仰のみ」           ガラテヤ人への手紙2章15~16節

ヨーロッパ世界がまだ中世の影を落としている1500年頃、ドイツのある修道院の奥深い部屋で「自分が何者か、何が人生に生きる意味を与えるのか、何が魂に平安を与えるのか。」という問いの前に苦悶している一人の男がいた。彼は修道士として誰よりも模範的であり、正しい、聖い者であると自負していた。しかし彼の内面は全く暗黒であった。彼は「正しいということ」は「正しい行いである」と考えていた。そしてそれは神の掟(律法)を守り従うことだ考えていた。しかし彼はそのように生きようとすればするほど、絶望とみじめさが増すばかりであった。ついに彼は「自分が今まで行ってきたことは、人間の考え出したものであり、不必要で無益、無駄な努力にすぎない」ことを悟った。こうした生活のただ中で、まさに熟読していた聖書から、新しい声が彼に聞こえてきた。彼は驚いたのである。キリストのみが、われわれの行ういかなる人間的な働きを必要とせず、ただ信仰によって、罪人を神との正しい関係に導くというあの言葉「正しい人は信仰によって生きる(義人はその信仰によって生きる)」というローマ人への手紙1章17節の言葉に打ちのめされた。ついに彼は自分の立つ確かな場を見出した。それは単に彼個人を変えただけでなく、当時のヨーロッパ世界の歴史、文化、宗教を大きく変える出来事でもあった。その導火線となったのが、1517年の宗教改革運動であり、当時の堅固なローマカトリック教会と戦ったこの男こそマルティン・ルターであった。彼は「私が何をなすべきかではなく、神の子であるイエス・キリストが私たちのために何をして下さったか」と語りました。「正しい人は信仰によって生きる」という聖書の言葉は「信仰義認」という教理として聖書の中心の真理となり永遠に輝き続け、私たちの大切な信仰基盤なのです。


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