礼拝メッセージ

10月17日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「罪人の自覚」             ガラテヤ人への手紙2章17~18節

私たちが生きている社会の中で、当たり前のように持っている感情に「差別意識」があります。それは人間の罪と深く結びついているものですが、パウロがガラテヤ書の中で戦っている信仰の戦いは、まさに教会の中に忍び込んでいるこの「差別意識」との戦いでした。当時ユダヤ人は自分たちは神から選ばれた聖なる民であり、異邦人は神から離れた罪人であるいう「人種的差別」と、ユダヤ人は割礼を受け、神の掟に従い、神の律法を守り、神の前に義しい生活をしている者たちであり、異邦人は律法を持たず勝手な汚れた生活をしているという「宗教的道徳的差別」を持っておりました。その差別の壁を打ち破ったのが「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」というパウロの主張でした。キリスト教の核心、福音の真理と言われる「信仰義認」の教理です。人間は自分の立派さによって神の前に立つ資格を獲得することはできません。信仰深い人間(ユダヤ人)も、神を知らない人間(異邦人)も、清く正しい生活をしている人間も、堕落した生活をしている人間も、神の前では同じ立場であります。なぜなら神は人間を「罪人」というこの一点で見つめているからです。人間は神の前ではみな平等に「罪人」なのです。パウロが主張した「信仰義認」のこの教理、「キリスト・イエスを信じる信仰」に生きる時、無価値な人間が神の前に価値ある者とされ、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ書43章4節)者とされていくのです。

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