礼拝メッセージ

11月6日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「貧しい者のさいわい」             ルカの福音書6章20節

「貧しい者は幸いです。」今だかって耳にしたことのないキリストの言葉が、目の前にいる心を病み、あるいは体に障害や病気を抱えている人たちに、生活の貧しさとその重荷にあえぎ、悩み、飢えている人たちに届きます。みんなが抱え感じている、それぞれの貧しさに主は訴えられるのです。「幸いあれ!」と。貧しいことは、それ自体不幸なことであります。そのことを百も承知のうえで、「さいわい」とキリストは語りかけられるのです。国における貧困者救済は、もとより確立されていなかった古代東方世界においては、貧しい者はただ神を呼び求める他に道はありませんでした。そうした人たちが、今神の言葉に飢え、キリストの周りに集まり、語られる言葉を待っているのです。その彼らこそ神の国にふさわしいものだと主は語られます。なぜなら、彼らは神に望みをおいて生きていく他はなく、その意味では砕かれた魂をもって神により頼む真の貧しい人であります。またひたすら神の助けを待ち望む敬虔な人たちなのです。キリストは今、私たちに「あなたがたは、さいわいなのです!」と語られ、本人の私たちが気付いていない、さいわいの事実、すでにそこに在るさいわいに、私たちの思いを向けようとしておられるのです。それゆえ「幸いです」と訳されている言葉は「祝福されている」「神から恵まれている」ということを表しております。私たちがその事を知っているか、知らないかにかかわりなく、確かに神に祝福され、恵まれている。その事実こそが、ほんとうの幸福の裏付けなのです。この裏付けと約束があるからこそ、どんなに貧しく、逆境にあっても幸いなのです。大切なことは、私たちがどんな時でも、イエス・キリストのみもとに身を寄せる者には神は祝福と恵みをもって守り、支え、導いて下さる。そのことこそが幸いなのです。ですから貧しくても、苦しくても、そこで感謝をもって喜んで生きていくことができるのです。

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