礼拝メッセージ

11月25日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主イエスの覚悟」           ルカの福音書9章51~55節

人はある覚悟をした時、顔をまっすぐに上げ、正面を厳しく見据える。目的とめざすべき方向が定まったのです。そのためにどんなに危険や困難があったとしても、見苦しい行動はすまいと決めた、ゆるぎない心がそこにあります。今主イエスのエルサレムをめざす旅が始まろうとしております。旅の目的は、「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺される」ためです。(22節)その主イエスの確固たるお姿に、その後についていく弟子たちは「恐れを覚えた」(マルコ10章32節)とマルコは記しております。自分たちの先頭に立って歩む主イエスの前途には、決定的な敗北のしるしとしか思えない、十字架の死が待っている。こんな状況で弟子たちは逃げ出すこともできました。それなのに弟子達はついて行くのです。主イエスの十字架の磁力は彼らを離さなかったのです。その十字架の出来事を「人の子は、いまに人々の手に渡されます。」(44節)と表現なさいました。「渡される」ことは「うら切る」ことです。この事はユダの裏切りにおいて明らかにされました。ユダにとっては主イエスは売り物でした。銀貨30枚、これが主イエスにつけられた値段でした。では私たちにとって、主イエスの値段はいくらなのでしょうか?その前に主イエスにとって私たちはいかほどの価値かをまず聞きましょう。その答えはヨハネの福音書3章16節の有名な言葉です。「そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」ほどの価値なのです。こうして主イエスは十字架に向かって、ためらわずに進みました。しかし今主の前に恐るべき死の壁が立ちふさがります。「わが父よ、ほかに道はないのですか?」御父は言います「ほかに道はない!」そこで主イエスは覚悟を固められ、私たちの先頭に立って進み行くのです。その主イエスの背をしっかりと私たちは見つめましょう。

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