礼拝メッセージ

11月15日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「手を伸ばしなさい」             マルコの福音書3章1-6節
 韓国のことわざの中で「甘ければ飲み込み、苦ければ吐き出す」ということばがあります。自分の利害のみを考えて、それによって受け入れたりする態度を表す言葉ですが、私たちの信仰もそのような部分がないのか良く考えて見なければなりません。聖書の教えに対して、自分の利益になる事は受け入れてそうでないことは捨ててはいないのか、ということです。本日の聖書には、そのように生きていて、自分たちの規則を固い信念としてもっていた人々が出て来ます。
 ある日、イエス様が会堂に行かれました。その時は、安息日であって、イエス様の教えを聞くために多くの人々がその会堂に集まっていたのです。そこには、片手のなえた人もいました。ところが、このような会堂に、イエス様の教えにも片手のなえた人にも、どんな関心ももっていなかったのに、イエス様とその人をじっと見つめていた人々がいました。この人たちは、パリサイ人でした。その時、彼らはイエス様が片手のなえた人をいやすかどうか、それを確認するためにそこに座っていてじっと二人を見つめていたのです。何故なら、それを通してイエス様を訴える口実を得るためでした。
 そのことをすべて分かっておられたイエス様は、あえて片手のなえた人を会堂の真中に呼び出して彼の手をいやして下さいました。しかしそのようなイエス様の姿を見ても、そしてイエス様の教えを聞いても、かたくなな心の故に、なえてしまった心の故にイエス様の教えを受け入れることが出来なかった彼らでした。そのようなパリサイ人のかたくなな心を通して、私たちの心は固くないのか良く吟味して見なければなりません。そしてイエス様は固くて渇いてしまった心をもっている私たちに、手を伸ばしなさい、と仰って下さいます。それは私たちに新しい心を与えて下さるためなのです。新しくされた心によって、神様のみこことに従い、その教えを守り行なう者になりたいと思います。

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