礼拝メッセージ

10月14日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「神様と一緒にいる」            ルカの福音書15章25-32節
 ルカの福音書15章に出て来る「放蕩息子」のたとえ話は私たちが良く知っている内容です。お父さんの身代をもらって家を出た息子が、その財産を湯水のように使ってしまい、大変なことになります。豚の餌で腹を満たそうとしてもそれさえ与えようとする人もなく、飢え死にしそうな生活をするようになりました。そこで彼は悔い改めてお父さんのもとに帰って来ます。そのようの息子を赦してくださり、喜んでくださるお父さんは、彼に一番良い物を与え、彼のために盛大な宴会を開き、息子が生きて帰って来たことを祝い、喜びます。ここで私たちが良く知っている「放蕩息子」のたとえ話はハッピーエンディングで終わるようです。
 しかしこのたとえ話の結論は、その後に出て来るお兄さんの話しです。と言うのは、この15章でのたとえ話はパリサイ人と律法学者たちに話してくださったこと(2節)であるからです。弟が無事に帰って来た事を知ったお兄さんは喜ばなかったのです。喜ぶところか、怒りました。そして弟のために肥えた子牛を屠って喜びの宴会を開いて下さったお父さんに対しては文句を言いました。そのようなお兄さんの言葉の中には、お父さんをお父さんとして尊敬し愛する心は少しも見つけることが出来ない、大変酷いものでした。そして家で一生懸命に働き、お父さんの戒めを守り続けて来た自分には子山羊一匹もくださらない、なのに罪深い弟のためには子牛をほふらせて宴会まで開くと、恨み妬んでいるばかりでした。
 そのようなお兄さんに、父親は「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」と話してくださり、「いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と宴会に入って共に喜ぶように招いてくださいます。私たちは、このように自分の事を「息子よ」と暖かく呼んで下さる神様を忘れてはいないでしょうか。そしていつも私たちと一緒にいてくださる神様を忘れてはいないでしょうか。父なる神様が私と一緒にいてくださる、と言う事を覚えて喜びの中で生きて行きたいと思います。

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