「王なるイエスよ 私たちの心に」 マタイの福音書2章1~21節
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタイ2:2)東方の博士たちが告げる新しいユダヤ人の王の誕生というこの言葉は、ヘロデに深刻な動揺を与えました。「私がユダヤ人の王なのだ。そうだ!私だけがユダヤ人の王なのだ。他の人間がユダヤ人の王であるわけがない。そんなことはあってはならない。」自分にそう言い聞かせたヘロデは、ベツレヘムとその近辺の2才以下の男の子をひとり残らず殺させました。 聖書が描くクリスマス物語には明るさと暗さがあります。その暗闇の部分がもっとも色濃く描かれているのが、ヘロデの幼児虐殺の場面です。彼はユダヤ人の王としての地位を保つために、自分を脅かす人間、あるいは少しでもその気配のある人間を、冷酷な仕打ちで容赦なく抹殺しました。妻や子供、親族、側近者たちを殺しました。しかしヘロデは決して例外的な人物というのではありません。私どもの中にもヘロデ的なもの、内なるヘロデがあるのです。「私の願望」「私の立場」「私の価値観」「私のわく組」などにとらわれ、自分の世界で自分の思う通りの生き方に力を注ぎ、ヘロデのようにその立場を貫き通そうとするのです。おそらくヘロデは自分が人々から信頼され、自分の血族皆に愛され、受け入れられていたらどんなに幸せであろうかと、心の中でいつも憧れていたに違いないのです。その意味でこのクリスマスは、私どもの中に根深くしみついているヘロデ的なものを、これからもずっと抱きかかえたまま生きるのか、それとも生き方を変えて、新たな歩みへと導いて下さる、主イエスの名を呼び求めつつ生きていくのか、私どもの決断を求める出来事なのです。ヘロデはこうして「イエスを殺したい。」と言う願いを持ちながら、それを果たすことなく死にました。しかし、ヘロデの起こしたあの事件で犠牲となったのが、ベツレヘムとその近辺の2才以下の男の子たちでした。強大な権力を持つヘロデが、無防備で無力な子どもたちを殺したのです。このベツレヘムの幼児虐殺はやがて、キリストの十字架の死をもって結末を迎えます。あの殺された子どもたちの死は、キリストの死を告げ知らせ、その証人になったのです。このキリストの死において「ユダヤ人の王」という言葉は、もう一度重要な意味をもってマタイの福音書27章に登場します。キリストがローマ総督ポンテオピラトによって裁かれる場面でピラトは問います。「あなたがユダヤ人の王であるのか。」と。主イエスは答えました「その通りである。」と。ピラトはイエスの処刑を決断し、ローマ兵士に引き渡します。しかしそうすることによって、彼ら自身の思いを越えて聖書は、まことの「ユダヤ人の王」とは、辱められる王であり、見捨てられる王であり、殺されていく王であることを明らかに告げているのです。この王は自分が生き延びるために人を殺すことはありませんでした。人を救うために自分が殺され、自分の命を捨てました。その事によってあらゆる時代を越えて、嘆き悲しみ、虐げられ見捨てられ、苦しみ痛みの中にある人々と共に在ることが出来る王なのです。ですからクリスマスを迎えて、私どもは次のように歌うことができるのです。 夜の闇が地をおおい 月明かりしか見えなくても 私は恐れない あなたが私の側にいてくださる限り
「誉れの冠を受ける者」 ルカの福音書6章22~23節
「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。」今この主イエスの言葉を聞いて、「そうです。私こそキリストのために迫害されてきた者です。」と断言し、立ち上がる人はいるでしょうか。先の第二次世界戦争において、神の言葉に真実に生きようとしたキリスト者は文字通り、命を落とし、あるいは命がけでこの時代を生きてきました。しかし、私たちは今、迫害のない、殉教者のない教会として存続できる時代に生かされております。主イエスのこの言葉は、主ご自身が憎まれ、はずかしめられ、苦しめられて、やがて殺されるというご自分の身におこるであろうことを受けて、弟子たちに語られた言葉です。教会の長い歴史においては、さまざまな時代に迫害の時期がありました。一見平和と安全の中にいる私たちが、火のような試練と苦難と迫害の中に投げ込まれる時が来るかも知れません。今この時にも、世界のどこかで実際に激しい迫害を受けているキリスト者の群れがいるのです。だから私たちは、主イエスの幸福の使信の意味するところを正確に理解し、その時のための備えをしなければならないのです。では主イエスの幸福の使信は私たちに何を語ろうとしているのでしょうか。パウロは「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな迫害を受ける。」(第二テモテ3:12)と語りました。それなら何故キリストを信じる者は、このような迫害に会うのでしょうか。それは『キリスト者は人と違ったところがある』からです。パリサイ人や律法学者が主イエスと接した時、自分たちの聖さ、義しさがことごとく安っぽくされていくのを感じたからです。キリストとの決定的な違いを知らされたのです。彼らはみじめな気持になり、罪の宣告を受けたような思いにさせられ、まさに主の徹底した絶対的な聖さと義のゆえに主イエスを憎んだのです。以上のことからこの幸福の使信は、私たちに対してキリスト者とは何かということについて語っているのです。この世は私たちがキリストのまねをしようとするだけなら賞賛するでしょう。しかしキリストに似た者となるなら、世は私たちを憎むのです。では何故キリスト者はこのような迫害を喜ぶべきなのでしょうか。それは、今受けている迫害こそキリスト者として、自分がどういう者であるのかの証明だからです。私たちがキリストと同じように迫害を受けるなら、それは私たちの生き方が主イエスの生き方と似たものになっているということであり、主のものであることの保証を確実に握っていることを証明するのです。ですからキリスト者はそのことを喜ぶのです。また、それが私たちの行く先についての証明であるからです。「天ではあなたがたの報いは大きいからです。」(ルカ6:23)もし迫害があなたに起こっているなら、それはあなたが天国に行くように定められているという事実の証明なのです。キリスト者とは常に天を仰ぎ見る人でなければならない。私たちはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことをも賜っている(ピリピ1:29)ことを想起しなければなりません。私たちはこの迫害の故に感謝するのです。なぜなら迫害は「永遠の重い栄光」をあふれるばかりに、私たちに得させて下さるからです。それゆえに「その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。」
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「クレネ人シモン ー強いられた愛ー」 マルコの福音書15章16~22節
クレネ人シモンは肩にくい込む十字架の重みとその痛さに耐えながら、心の中で何度も「どうして自分が。」と呟いていた。彼は聖なる都で過ぎ越しの祭りを守るために、遠い国クレネより巡礼の旅を続け、やっとエルサレムに着いた。それが、処刑場に引かれていく犯罪人の一団に出会ったために、無理矢理、十字架を負う羽目になってしまった。こうして彼は、おそらく人々のあざけりとひやかし、笑いのうちに思いもよらず、イエスの苦難と死の只中に巻き込まれてしまったのでした。十字架を背負って進むシモンの前には、初めて出会った彼の知らない一人の男が、疲れ果て、傷つき、消耗し尽くした体をやっと支えながらヨロヨロと歩いています。イエスと呼ばれた男がどんな人物なのか分からないけれど、十字架刑という罪の片棒を担がせた罪人であり、人々の面前で恥をかかせたローマ兵とともに、彼らへの恨みでシモンの心はいっぱいであったことでしょう。彼はついにゴルゴダの丘についたときに、出来るだけその場から早く立ち去りたいと思ったでしょう。しかし、彼の心の中で何かが起こった。なぜならマルコはここでわざわざアレキサンデルとルポスの父でシモンというクレネ人と彼のことを紹介していることに注目したいと思います。恐らくシモンは十字架上の光景を見ることになったのではないでしょうか。キリストの死の場面の中心に居た彼は、あのローマの百人隊長のように「この方は、まことに神の子であった。」と告白したのか、あるいは後になってキリストについて思い巡らす中で「自分は、キリストの十字架を背負わされ、苦しみと恥とを味わった。神さまはなぜそのようなことをなさったのか、その時は神さまのご意思がわからなかった。しかし今、それがはっきりとわかるようになってきた。自分は『キリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態に(ピリピ3:10)』置かれたのだ。」と導かれていったのではないでしょうか。神による強いられた愛は彼の心を砕き、キリストへ結びあわされ、彼の人生を大きく変えていくこととなりました。マルコは、その彼とは、アレキサンデルとルポスの父だと但し書きを添えました。マルコの福音書はローマで書かれたといわれております。福音書の読み手(聞き手)がよく知っているそのルポスは「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」とローマ人への手紙16章13節に登場します。おそらくシモンの家族はローマでも有力なキリスト教徒の家族となっており、ローマ教会で中心的な役割を果たすようになっていたのではないでしょうか。クレネ人シモンはキリストの祝福と喜びに預かった人々と違って、キリストの苦しみと悲しみを共にすることから出発しました。彼は私たちに「神のご計画というものは、しばしばそこまで行き着かなければわからないものです。途中で投げ出しては、いつまでたっても本当の恵みはわからないのです。」と語りかけているようです。
「神への飢え渇き」 ルカの福音書6章21節
「飢え」という言葉は、動物や人間の本能に深くかかわる言葉です。しかもその「飢え」は絶えず生と死の境界線上において展開され、繰り返されていきます。NHKテレビの「地球いきもの紀行」の飢えたライオンが獲物を追う映像、ついに捉えられて食い殺されていく動物の映像が連想されます。このように「飢え」はもともと激しいものであり、キリストはそのような激しい内容と調子をもつ言葉をここで使っておられるのです。預言者イザヤがシオンの回復を預言して「彼らは飢えることなく、渇くこともない。」(イザヤ49:10)と預言した言葉が今キリストにあって実現したのです。問題は何に対してそのような激しい飢えを覚えているかを問われております。もしそれが腹を満たすものだけであるならば、動物と同じようにまた私たちは飢えるのです。キリストがここで語っておられるのは、たとえ満腹しても必ず空腹になるような朽ちる食物ではなく、「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物」(ヨハネ6:27)への飢え渇きであります。ですからそれは「神への飢え渇き」であり、その第一の求めが、罪から解放されたいという願いであります。何故なら罪は私たちを神から引き離すからです。神との正しい、平和な関係の回復こそ、私たちの切なる願いなのであります。第二の求めは、聖くなりたいという願いであります。私たちは究極においては主イエス・キリストご自身のようになりたいと願います。そのような人には「あなたがたは、やがて飽くことができます。」と約束されております。それは第一にキリストの義において与えられている完全な罪の赦しの喜びからくる深い満足であります。第二にそれは、終末におけるキリストに在る者が、このからだが造り変えられ、完全な新しい人となり、神の御前に立つ日の喜びからくる満足です。これが神への飢え渇く人々すべてに対する神からの栄光に満ちた恵み深い約束であります。この満ち足りた約束に預かるために私たちはホセアのように「私たちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。」(ホセア6:3)と求め、詩編42篇の詩人のように「わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。」(詩編42:1~2)とその必要を深く自覚することです。それゆえにキリスト者とは飢え渇いていると同時に満たされている人といえます。そして「主イエスこそ、わが望み、わがあこがれ、わが歌」と歌い、「主イエスこそわが喜び、わが主、わがすべて」と讃美の声を高く上げる者なのです。
「幸いかな、泣いている者よ」 ルカの福音書6章21節
新美南吉の短い童話に「でんでんむしのかなしみ」があります。かって美智子皇后さまが「何度となく思いがけない時に、記憶によみがえってきた童話です。」とお話しされたことで、人々に広く知られるようになりました。―いっぴきのでんでんむしが、ある日自分のせなかのからの中に悲しみがいっぱいつまっていることに気づきます。この悲しみはどうしたらよいでしょう。『わたしはもう生きていられません。』と友達を順々に訪ねて聴いてまわるのです。どの友達の答えも同じでした。『あなたばかりではありません。わたしのせなかにもかなしみはいっぱいです。』そこで、でんでんむしは気づきました。『かなしみはだれでももっているものだ。わたしばかりではないのだ。わたしはわたしのかなしみをこらえていかなきゃならない。』そしてこのでんでんむしはもうなげくのをやめたのです。―しかし本日、キリストがここで語られるお言葉は、悲しみの中にじっと耐えるようにということではありません。「いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。」と語ります。この言葉は何という言葉でしょうか!これは人間には不可能な言葉です。キリストのみが口にすることの許された言葉です。キリストは泣きたければ泣けばよい。叫びたければ叫ぶがよい。その悲しみが祝福を受けるのだと言われるのです。それゆえ「いま泣いている者は幸いです。」とキリストが言われる時、私たちはキリストが「悲しみの人で病を知っていた」(イザヤ53:3)お方であるという事実に気づかされます。キリストこそ悲しみに生きた方で、その悲しみの中で死なれた方です。そのキリストをヘブル人への手紙5章7節では「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」と描くのです。人間のさまざまな悲しみのいずれもが、私たち人間の弱さ、みじめさ、そして罪から生まれる悲しみであり、涙を流すのはそれを生み出す罪があるからです。そのために涙をもって十字架に到るまで歩みぬかれたキリストこそ、聖書が語るキリストの姿なのです。ですから、私たちが「いま泣いている者は幸いです。」というキリストの言葉に慰めをうけるのです。
「貧しい者のさいわい」 ルカの福音書6章20節
「貧しい者は幸いです。」今だかって耳にしたことのないキリストの言葉が、目の前にいる心を病み、あるいは体に障害や病気を抱えている人たちに、生活の貧しさとその重荷にあえぎ、悩み、飢えている人たちに届きます。みんなが抱え感じている、それぞれの貧しさに主は訴えられるのです。「幸いあれ!」と。貧しいことは、それ自体不幸なことであります。そのことを百も承知のうえで、「さいわい」とキリストは語りかけられるのです。国における貧困者救済は、もとより確立されていなかった古代東方世界においては、貧しい者はただ神を呼び求める他に道はありませんでした。そうした人たちが、今神の言葉に飢え、キリストの周りに集まり、語られる言葉を待っているのです。その彼らこそ神の国にふさわしいものだと主は語られます。なぜなら、彼らは神に望みをおいて生きていく他はなく、その意味では砕かれた魂をもって神により頼む真の貧しい人であります。またひたすら神の助けを待ち望む敬虔な人たちなのです。キリストは今、私たちに「あなたがたは、さいわいなのです!」と語られ、本人の私たちが気付いていない、さいわいの事実、すでにそこに在るさいわいに、私たちの思いを向けようとしておられるのです。それゆえ「幸いです」と訳されている言葉は「祝福されている」「神から恵まれている」ということを表しております。私たちがその事を知っているか、知らないかにかかわりなく、確かに神に祝福され、恵まれている。その事実こそが、ほんとうの幸福の裏付けなのです。この裏付けと約束があるからこそ、どんなに貧しく、逆境にあっても幸いなのです。大切なことは、私たちがどんな時でも、イエス・キリストのみもとに身を寄せる者には神は祝福と恵みをもって守り、支え、導いて下さる。そのことこそが幸いなのです。ですから貧しくても、苦しくても、そこで感謝をもって喜んで生きていくことができるのです。
「幸福の使信」 ルカの福音書6章17~26節
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」は、映画にもなり、日本だけではなく、外国でも多くの人々に愛読されております。その小説の最後は、主人公が次のように叫ぶ言葉で終わっております。「僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。」高度経済成長期の80年代の終わり「今どこにいるのだ?」と叫ぶ人は少数でした。しかし2011年に入り、今どこにも居場所のないという人がものすごく増えています。「いずこへともなく歩きすぎていく無数の人々」が小説の主人公と同じように「僕は今、どこにいるのだ?」と叫んでいるのです。政治、経済、金融、環境、生命が不安定、不確実な状況にあり、「無縁社会」「ワーキングプア」という造語が生み出される現代社会は、人間として当たり前のように生きることの、ほんとうに難しい時代です。その事を象徴的に描いている光景が本日のルカ6章17節から19節です。「イエスは、彼らとともに山を下り平らな所にお立ちになった。」イエスが今、平地に立たれたのは、悩み、疲れ、病み困り果てている人々の居る場所でした。そこにはそれぞれの問題を抱えた人々が大勢いて、イエスのもとに押し寄せているのです。それらの人々に向かってイエスが「わたしはここにいる。おまえはどこにいるのか」と呼びかけておられるのが、「幸福の使信」の説教なのです。イエスは人々が一番求めている「幸福」について語っておられます。直接的には弟子たちを見つめながら語られましたが、(ルカ6:20)その言葉はその背後にいる群衆にも届いております。イエスは、彼らに向かって決して「まじめに生きよ」「善い人であれ」「正直であれ」とはお語りになりませんでした。彼らが今一番求めているもの「幸い」という祝福をお与えになられたのです。イエスの語られる「幸福の使信」は私たちが普通に考えている幸福とは違います。自分中心の幸福ではありません。それはイエスが与えて下さる上からの祝福、幸いです。ですからイエスの語られる幸福論は、「一体どうして、この私が幸いなのか」「このように貧しく弱い者が幸いなのか」と自分の耳を疑うような、驚きと新しさを与えるものでした。幸せも安らぎもどこか遠くに求めるものではなく、貧しく飢え、泣いている時、憎しみ辱めにあっても、なお今を丁寧に生きることの中に真の幸いがあり、それを私は祝福すると言われるのです。「この今に満足できることこそ本当の幸いなのです」と語られるイエスの「幸福の使信」をじっくり味わってまいりましょう。
ニコデモー大胆な愛 ヨハネの福音書19章38~42節
それは大胆な行動でした。主イエスが処刑されてから何時間も経っていない、極めて危険な状況の中で「イエスの弟子であることを隠していた」アリマタヤのヨセフと「前に夜イエスのところに来た」ニコデモの二人が、公然と主のお体を引き取り埋葬したのです。彼らは有力な議員で、人格者として尊敬を受け、資産家でもありました。そのことが逆にキリストの弟子として生きることの足枷になっていました。二人とも確かに主イエスを尊敬し、信じていましたが、人を怖れ憚って中途半端な信仰に身を置く「ひそかな弟子たち」でした。その彼らが大胆に、恐れもせず、かくも勇敢な態度に出ることが出来たのはなぜでしょうか?宗教改革者カルヴァンは、この問いを深く考えましたが自分には分からない「だから、これが行われたのは、確実に天の霊感によってである」と言いました。神の霊が彼らに働いて導いておられたのだと理解致しました。夜ひそかに一度だけ主イエスにお会いしたという、ただそれだけの出会いでニコデモは主のお体の埋葬に参加したのです。いざという時に、ニコデモはどのように変えられたかを見ます時に、私たちはその人に真の信仰の始まりが、いかに小さく弱々しいものであっても、決して人間の視点でその人に見切りをつけるようなことがあってはなりません。何故なら主イエスは「わたしが地上から上げられるなら、わたしはずべての人を自分のところに引き寄せます」(ヨハネ12:32)と語られているからです。今その全ての人の先頭にヨセフとニコデモがいるのです。そして私たちがその後ろに続いています。 キリストの教会は「使徒信条」で「主は十字架につけられ死にて葬られ」とキリストの埋葬を大切な信仰告白として守ってきました。その葬りにおいて、主はペテロやヤコブ、ヨハネではなく「ひそかなる弟子」「隠れたる弟子」に過ぎなかった、本来なら弟子の名に価しないようなアリマタヤのヨセフとニコデモを招いてお用いになられたのです。それもペテロを含め、ほとんでの弟子たちが、主イエスを見捨てて「ひそかな弟子」になってしまったその時に、それまで「隠れた弟子」であり続けてきたこの二人が、主に用いられて「隠れなき弟子」として人々の面前に立ったのです。ニコデモは「没薬とアロエを混ぜ合わせたもの」を用いて、主のお体を埋葬しました。それはあのクリスマスの夜、黄金、乳香、没薬をもって幼子イエスにひれ伏した東方の博士たち、ナルドの香油をもって主の葬りの備えをしたマリヤと同じように、今ニコデモはこの礼拝者のつながりの中にに公然と加わり、主イエスを「わが主、わが神」として告白するのです。このようにして埋葬の時、ご自分の体を用いて「ひそかな弟子」を「隠れなき弟子」へと招かれた主は、私たちをあの聖晩餐において「取って食べなさい。これは私の体です。」と、ご自分の体を用いながら私たちを引き寄せて下さっているのです。そしてこの主の愛の体を受け取る時、私たちは「隠れなき弟子」となって、大胆に自分を捧げて主にお従いしていくことが出来るのです。
「あなたの名が呼ばれたのです」 ルカの福音書6章12~19節
日本の代表的なキリスト者内村鑑三の初期の著作に「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」という英文の著作があります。この書は彼がキリスト信仰に導かれ、キリスト信徒になるまでの証しの書であります。ではこの同じ題名で皆さんがご自分のことをお書きになるとしたら、どのように記すのでしょうか。キリストを救い主と信じ、キリスト者になられたのには、それなりの理由、出来事、経過があり導かれたのだと記述は出来ますが、それはあくまでもキリストによる救いに到る過程の証しであって、なぜ私が救われ、キリスト者となったのかという問いの答えにはなっていないのです。本当のところ私たちは、「なぜ私がキリスト信徒になったのか」ということについて説明がつかないのです。私たちにはわからないことなのです。本日の聖書の箇所は主イエスの12弟子選出の記事ですが、おそらく12弟子たちもなぜ自分がキリストの弟子に選ばれ、使徒となったのか、私たちと同じように説明できなかったと思います。唯一答えることができるとしたら、「主イエスが徹夜で祈られ選んでくださったからです」(ルカ6:12~13)としか答えようがないのです。選ばれた12人の弟子たちの顔ぶれを見てみますと、多種多様な人たちです。何か選考基準があって、その試験を受けて合格したから選ばれたのではありません。確かなことは、主イエスが深く御心を求め、祈ってお決めになられたということです。この事実は私たちのキリスト信仰、キリスト者生活を支える基盤です。私たちはキリストの救いに預かるために求め祈りました。しかしそれに先んじて主イエスが祈ってあなたを選び呼び寄せてくださったのです。ですから私たちが信仰や救いの確信、召命について疑ったり、信仰を捨て、教会を離れようと思った時は、いつもこの主イエスの祈りを想起しましょう。どんな時でも、この主イエスの祈りが私たちの信仰を支え守っていてくださることを忘れないようにしましょう。そのために主は、主日毎の礼拝に私たちを呼び寄せてくださり、そこで新たな力、励まし、喜びをいただき、私たちは新たな1週間のこの世の歩みへと遣わされていくのです。またこの12弟子たちは小さな群れであっても、それは教会の芽生えの姿でもあります。今主イエスのもとに集められた12人の弟子の間には、それぞれ能力、経歴、思想の違いがあっても、それらの違いを越えて、福音宣教という一つの目的によって結ばれていたように、未来の教会においては、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、キリスト・イエスにあって全体が一つの体として組み合わされていくのです。そしてシモンはペテロにレビはマタイにと新しい名をいただき、新しい歩みを始めたように、私たちも主との新しい関係に生きる者として、主との絆を大切に最後まで保ち続けましょう。
「安息日―この喜びの日よ」 ルカの福音書6章1~11節
日本が日曜日を公休日としたのは、1876年(明治9年)4月からです。それまでの公休日は、毎月6回、1と6に当たる日(1,6,11,16,21,26,31は除く)でした。それが月4回の日曜日へと変わったのです。そこには日曜日は神を礼拝する日として守るキリスト教徒を無視できず、日曜日と土曜日正午からを公休日とする告示をしなければならなかった明治政府の苦渋の選択を感じます。教会は週の初めを「日曜日(日曜礼拝)」「聖日(聖日礼拝)」と呼ぶかあるいは「主の日(主日礼拝)」と呼んできました。「主の日」という表現は初代教会が早くから用いたものです。その呼び方がどこから生まれたかということについて、聖書的な起源はこのルカの福音書6章5節の「人の子は安息日の主です。」という言葉に求めることができます。もとは一週の終りの日であった安息日が週の初めの日曜日になったのは、主イエスが復活された日だからです。その日がいのちの始まりの日であり、主イエスが「安息日の主」となられたからであります。この「休息」「安息」という言葉のもとの意味は、仕事を終える。労働と激務の手を休めるということです。この事は主なる神が6日間働いて世界を創造され全てにおいて満足され、これらを祝福して7日目に深い満足の安息をなさった。従って人間の安息日とは、そのような神の祝福の安息の中に身を置くことなのです。つまり神と共に休む、神と共に憩うことが礼拝の意味なのです。このようにして始まった安息日ですが、完全な聖なる休みとは何かと追及し、そのための基準が設けられ、細かいところまで言及する規定が生まれ、だんだん安息日は形式化してきました。本日の箇所は主イエスと弟子たちが安息日を守る基準を破ったことに対して、パリサイ人、律法学者の批判が主題となっております。本来安息日は何もしない日でした。けれども主イエスはここで善を行うこと―(人のいのちを救うこと)―と悪を行うこと―(人のいのちを殺すこと)―とどちらが大切であるかを問いかけ、安息日の掟を乗り越える者、安息日を支配する者としてのご自身を語っておられます。主イエスが「安息日の主」であられる時、安息日が本当の安息になるのです。なぜなら、そこに主イエスが苦しむ者、悲しむ者、飢え渇いている者と共におられるからです。そこでは何を「しない」かではなく、「する」ことが大切であります。主イエスはこの日曜日が主の日として祝われ、主によって支配されることを望まれます。神はすべての週日を美しく装い、安息日を歓喜の日と名付けられました。それゆえにこの礼拝は、その主の祝福の中に私たちすべてが置かれる喜びの時であり、私たちに、ほめ讃えるべき方はだれかを教えてくれる時なのです。