礼拝メッセージ

9月7日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主の祝福の中を生きる」          創世記9章18~29節

創世記の6章から始まった「ノアの洪水物語」は、9章で閉幕となります。その間ノアには一言のセリフもなく、ただ神の仰せられた言葉だけが書き記され、ノアについては、「すべて神が命じられたとおりに、そのように行った。」(創世記6:22~7:5)と記されておりますように、黙々と神の命令に従った姿が描かれているだけです。しかし9章のこの物語終局の場面で、始めて私たちはノアの肉声を聴くことになります。それはノアの三人の子供に対する祝福と呪いの言葉でした。特にハムの罪の責任がその子カナンに及び、その子孫に負わされるという、カナンへの呪いが三度繰り返されている中で、セムに対する祝福の言葉が注目されます。「ほめたたえよ。セムの神、主を。」「ほめたたえよ」は原語では「祝福する」と訳されてきた言葉です。「呪い」の反対の言葉です。「カナンは呪われよ」しかし「セムの神は祝福されよ」と訳すこともできるのです。その言葉通りに、神の御名は、セムの子孫であるアブラハムに、さらにイサク、ヤコブの神へとつながり、祝福は受け継がれていくのです。そしてついにヤコブの12人の息子の中で、「わたしは今、主をほめたたえる。」(創世記29:35)との意味を持った4番目の息子ユダの部族のダビデの家系から救い主イエス・キリストが誕生するのです。パウロは、「このことは、アブラハムの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって、約束の御霊を受けるためなのです。」とガラテヤ書3章14節に書き記しました。すべての人類の罪に対する呪いを越える、祝福をもたらしてくださるのは、神の独り子、主イエス・キリストだけです。だからこそ、すべての民は「ほめたたえよ。セムの神、主を」と賛美する時、その人は主の祝福の中に生きることができるのです。そしてこの賛美は、天上に於いては、主イエス・キリストをたたえる賛美へと変えられ、「ほふられた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光、賛美を受けるにふさわしい方です。」「(ヨハネの黙示録5:12)と、声を合わせて私たちは歌うのです。   

        

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