礼拝メッセージ

7月19日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「罪赦された喜び」           ルカの福音書5章17-26節

「もしも私が苦しまなかったら、神様の愛を知らなかった。」これは瞬きの詩人と呼ばれる水野源三さんが作詞した新聖歌292番1節です。水野さんは脳性麻痺で見ることと聞くこと以外は何も出来なくなりました。そのような彼がキリストに出会い罪を赦されて、やがて素晴らしい詩人になります。彼の詩は、神様への喜びが良く表われた純粋な詩であると評価されます。肉体的には誰よりも不自由な人生を送った彼ですが、彼は罪を赦された喜びで満ち溢れた人生を生きた事に違いないと思います。

本日の聖書を見ますと、ある時、イエス様のところに、男たちが中風の人を、床のまま運んで来ました。ところが多くの人が集まっていたため、入口からは入る事もイエス様に近付く事も出来ませんでした。それで男たちは、屋根に上って瓦をはがして、人々の真ん中にいるイエス様の前につり下ろしたのです。このような彼らの姿から、イエス様は「彼らの信仰」をみたと書かれています。彼らはイエス様を信じました。誰も治すことが出来なかったことを、イエス様は治すことが出来ると信じていたのです。イエス様のもとに出て行けば必ずイエス様は治してくださるということを信じて、何があってもイエス様のもとに出て来たのです。

そのような彼らの信仰を見たイエス様は「友よ。あなたの罪は赦されました。」と中風の人に仰いました。この時、多くの人々は「病の癒しではなく、何故罪の赦しなのか」という疑問をもったかも知れません。しかし、イエス様は、彼の根本的な問題を病と見ないで、罪の問題として見てそのように話されたのです。私たちは人それぞれの願いをもってキリストのもとに来ます。そうであっても、イエス様は人間の根本的な問題である罪の問題を触れて下さるのです。この問題が解決されなければ、幾ら健康であっても真の平安を得ることは出来ないのです。私たちの罪が赦された時、たとえ体は不自由であっても喜びをもって生きて行くことが出来るのです。イエス様のもとに出ていって「友よ。あなたの罪は赦されました。」という言葉を頂き、罪赦された喜びに満ち溢れる人生を生きて行きたいと思います。

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