礼拝メッセージ

5月5日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「神の再創造のみわざ」              創世記3章20~24節

「楽園追放」を題材として描かれた絵画の中で、最も有名なのがルネッサンス美術の幕開けを告げるマサッチオ(1426~27)の「楽園追放」です。この絵画ではアダムとエバの姿が暗く悲劇的に描かれております。アダムは自らの罪を悔いて恥じ入るかのように、両手でその顔を覆い隠し、エバは悲痛な面持ちで天を仰ぎながら、胸と下半身に両手を当てています。二人はかくも打ちひしがれたまま、永遠に楽園を後にするのです。失ったものの大きさと、彼らを待ち受けている過酷な運命に立ち向かわなければならない、不安と恐れを感じさせる姿であります。一方時代が20世紀まで下り、シャガールが描いた「楽園追放」(1961年)は、アダムとエバが楽園を守る天使によって追い立てられていることに変わりはないのですが、軽やかに天を飛翔しながら、視線を前方に向けている姿を描いております。その先に神の刑罰として生きる苦しみが待っているようには、とうてい見えません。それどころか二人は、何が起ころうとも未知の未来に進んで飛び込んでいくかのようです。それを物語るかのように、この絵は、赤、黄緑、青、紫、白等色彩豊かに描かれております。説明がなければ「楽園追放」とは思えないほど、画面は明るく華やかなのです。マサッチオの絵が文字通り「追放」を感じさせる暗い色調なら、シャガールは「解放」を思わせる色調です。アダムとエバは喜んでエデンの園を出て行く姿を印象づける絵です。アダムとエバが生きるのは、神の戒めから解放され、好きなように生きることが出来る、自由な世界です。しかし、その自由な世界で人間は何をし、どのように生きたのでしょうか。それが4章から始まるのです。一方エデンの園は、神ご自身がアダムとエバの後を追うように、園の外に出て来られ、園は空になり、神の園でなくなり、この地上からエデンの園はなくなりました。創造主と造られたままの人とが交流する姿は、もはや永久に地上から消え去りました。しかしこの時から、罪人である私たちの救い主なる神として、どこまでも私たちを追い求め、探し求める神との交わりが、新しくこの地上に始まったのです。確かに神と人が共に住んだあの堕落前のエデンの園は美しく平和でした。しかし、それ以上に栄光の輝きに満ちた神の救いの業が、神が罪から新しく造り直される再創造の業が、4章から始まるのです。罪人の後を追い、園を捨ててまで、この世に来て下さった、神の贖いの御業がすでに始まっているのです。


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