4月7日(日) 礼拝メッセージ要旨
「男の苦しみ」 創世記3章17~19節
2011年3月11日。私たちは、目を覆うばかりの信じられない光景を目の当たりにしました。圧倒的な地震と津波による自然災害と原発事故という人災によって壊滅的な惨状となった、あの東日本の大地を前にして、私たちは人間の無力さを否応なく思い知らされました。これだけは確かなものとして、生きる拠り所としていたもの―家、土地、家族や人との絆、仕事、会社ーなど全てが奪われ、人の存在そのものを揺るがすこの出来事に向き合った時、私たちは創世記3章17節の「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」という人に語りかけられた神の言葉が、何を意味するのかを知ったのです。そして「いばらとあざみを生えさせる土地で、顔に汗を流して、一生苦しんで糧を得る。」と続く神の言葉どおりに、労苦の日々を過ごす人の姿は、私たちの日常、特に復興に向けて苦闘している東日本の人々の姿と重なります。あの「エデンの園」において、土から形造られた人は、土を頼りに生きていました。人はその土を耕し守り、土は人にとって生きるための母なる大地でした。人がそうであるように、土もまた掛け替えのないものでした。ですから人は堕落後も、肥えた土を作り、豊かな実りを得るために汗を流してきたのです。それがいかに大変なことであるかは、土を耕したことがある人ならすぐわかります。柔らかくホカホカした土はこうして、何世代もの人が慈しむように、土と向き合い出来あがったもので、その土が生みだす美しい田園風景は、そこで暮らす人々が土地に愛情を注ぎ続けた結果もたらされたものでした。しかしそれが地震や津波などの自然災害や戦争や環境汚染などの人災で破壊され、聖書が語る「いばらやあざみが生えるのろわれた大地」となり、そこで生きるために「顔に汗を流して糧を得る」ことを思い知らされるです。そして「ついに、あなたは土に帰る。」(創世記3:19)というむなしさを迎えるのです。「エデンの園」とは「歓喜の園」という意味です。今日私たちが生きている場が「喜びの園」として取り戻される道は、果たしてあるのでしょうか。改めて創世記3章17~19節が告げるメッセージは、あらゆる時空を越えて、いつの時代にも、生きる人々に問いかける言葉であることを思わされるのです。