4月19日(日) 礼拝メッセージ要旨
「かつての私たちの姿」 エペソ人への手紙2章1-3節
この手紙の1章の後半から始まった「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか」ということの説明は、2章まで続きます。2章では、神の恵みと力がどれ程偉大なものであるのかを知るために、救われた私たちがどのような状態であったのかを説明することから始まります。何故なら、救われる以前、私たちがどのような状態であったのかを正しく知ることによって、そんな私たちを救って下さった神様の力の偉大さを知ることができるからです。即ち、私たちが救い出された罪の深さを知ることを通して、私たちを救って下さった神様の力を知ることができるし、その恵みに感謝することもできるのです。
それでは、救われる以前の私たちの姿はどういうものだったでしょうか。パウロは1節で、かつてのクリスチャンの姿について「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」とはっきりと教えます。「死んでいた」とは、霊的な死を現わしますが、それは神様から離れて神様との関係が打ち切られた状態のことです。続く2節と3節では、霊的に死んでいる人間の生き方についての説明です。霊的に死んでいる人間は「罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩み、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない」ます。このような生き方からは、神様を見つけることができません。「死んでいた」という表現から分かるように、神様からの教えに反応することができず神様のみこころに従うこともできなかったのです。
このような罪の中にある人間の状態について、パウロは「私たちも」と言って、ユダヤ人も異邦人も、すべての人々が同じ状態にあるということを現わしています。ですから救われる以前の私たちの姿も同じであった事を覚えましょう。そこから救い出して下さった神様の恵みと力がどれ程嬉しいことであり、感謝なことであるのか、心に覚えたいと思います。