礼拝メッセージ要旨

3月1日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「その時が来れば」              ルカの福音書1章18〜25節

ザカリヤとエリサベツは、どちらも祭司の家柄に生まれであり「神の前に正しい人」として誰からも尊敬される存在でした。そのようなザカリヤは生涯に一度あるかないかという、香をたく奉仕のために聖所へと入りました。そこで御使いガブリエルが現れ、「あなたに子どもが与えられる」という知らせを告げます。

しかしザカリヤは、「そんなことが本当にあるのでしょうか。私も妻も、もう年をとっています」と疑いの答えをしました。これは思わず出てしまった感嘆の言葉ではなく、神のことばを信じられなかった不信仰の表れでした。

ザカリヤは、長年子どもを与えてほしいと祈り続けてきたにもかかわらず、いざその祈りが聞かれたと告げられると、「そんなはずがない」と心を閉ざしてしまったのです。

外見上はどれほど立派に見える人の心の中にも、神への不信仰が潜んでいると、ザカリヤの姿はそのことを静かに語りかけてきます。私たちも同様で、聖書の奇跡は信じられても、いざ自分の現実の問題に神のことばが関わってくるとき、疑い始めてしまうことがあるのではないでしょうか。

ガブリエルはザカリヤに「あなたは口がきけなくなる」という厳しい裁きを告げました。これは、神がいかに私たちに信仰を求めておられるかを示しています。しかしこの裁きの中にも、深い憐れみが込められていました。「時が来れば実現する」という神の約束は変わらなかったからです。

人間の不信仰にもかかわらず、神はご自身の御心をこの世界の中で必ず成し遂げられます。それが神の真実さです。そしてその真実さによって、私たちは信仰が与えられ、罪が赦され、神の民とされています。

現実の重さに目を奪われ、神を見失いそうになる時でも「時が来れば実現する」と約束してくださる神を仰ぎ見て、喜びと感謝のうちに歩み続けたいと思います。