礼拝メッセージ要旨

2月1日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「神の前に正しい人」               ルカの福音書1章5〜7節

今日はルカの福音書の始まりに登場する、ザカリヤとエリサベツについてご一緒にみてみたいと思います。当時のイスラエルは、非常に暗い時期を過ごしていました。ヘロデ王の残酷な統治下にあり、マラキ書以来、約400年もの間、神様の言葉が与えられていなかったの時代だったのです。人々は「神様の約束は忘れられてしまったのではないか」と落胆していました。まさにその時、神様はヨハネの誕生を通して長い沈黙を破り、救いの歴史を再び動かし始められたのです。

本文に登場する二人の名前には、素晴らしい意味が込められています。ザカリヤは「主は覚えておられる」、エリサベツは「主は誓われる」という意味です。神様は彼らの名前を通して、「わたしはあなたがたを忘れていない。わたしの約束は必ず守る」というメッセージをすでに宣言しておられたのです。

本文の6節を見ますと、この二人は「神の前に正しい人」であり、主のすべての命令を「落ち度なく行っていた人」だと記されています。ここで注目したいのは、彼らがこのように正しい人生を送れたのは、決して人生が豊かに与えられていたからではない、ということです。彼らには子供がおらず、すでに高齢でした。当時のユダヤ社会において、子供がいないことは大きな悲しみであり、時には恥ずべきことだと見なされていました。

彼らは長い間祈り続けましたが、答えは得られず、周囲からの冷たい視線に耐えなければなりませんでした。しかし、ザカリヤとエリサベツはその深い悲しみや苦しみを、むしろ、その痛みを抱えたまま、毎日神様の前に進み出たのです。悲しみがあったからこそ、より神様に近づき、そのたびに注がれる神様の愛で心を満たされて頂きました。暗い時代、そして個人的な苦難の中でも、真の支配者である神様だけを見上げて、黙々とその道を歩み続けたのです。

私たちの人生にも、時には苦しみの時があり、痛みや困難が訪れることがあります。しかし、ザカリヤとエリサベツのように、その苦しみの時に神様の前に進み出て行きたいと思います。神様は私たちを覚えてくださり、その約束を必ず果たしてくださる方であることを信じる者になりたいと思います。暗い世の中で神様の光を照らしながら、一歩一歩、信仰の道を歩んで行く者になりたいと思います。