礼拝メッセージ

2月28日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「涙をながす信仰」           マタイの福音書26章69〜75節
本日の本文はペテロについてですが、ペテロは非常に情熱的な性格を持っていると言われています。時にはユニークな面を見せる人物でありまして、その性格のゆえでしょうか、福音書にはペテロに関する内容が結構あります。そしてそのようなペテロの言動ほど特別だったのは、イエスさまに対する思い、または愛だと思います。最後の晩餐の後、イエスさまと弟子たちはオリーブ山に行きます。そこでイエスさまは弟子たちに「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」と仰ると、ペテロは「たとい全部の者が あなたのゆえに つまずいても、私は決してつまずきません。」と答えました。ある時は非常に情熱的で、ある時は非常に純粋な姿を見せているペテロだと思います。
そのようなペテロであっても、イエスさまは捕まえられると怖くなることだと思います。すでに他の弟子たちはイエスさまを捨てて逃げてしまいました。しかし、ペテロは「遠くから イエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まで入って行き、成り行きを見ようと 役人たちといっしょにすわった」のです(58節)。その時、ペテロに召使いの女が一人近づいてきて「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」ということでした。その質問に対して「何を言っているのか、私にはわからない。」と否定するペテロ。他の召使いの女がきて「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」と話しますと、今度は、誓って「そんな人は知らない。」と否定してしまったのです。しばらくしてから、もう一度「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」と指摘されますと、ペテロは「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけ 誓い始めたのです。
イエスさまが捕まえられる前には「私は決してつまずきません。」と、そして「たとえ、あなたと一緒に 死ななければならない としても、あなたを知らないなどとは 決して申しません。」と話ししていました。しかし、そのことを召使いの女の質問で否定してしまったのです。それも3回も否定し、最後にはのろいをかけ 誓い始めてイエスさまを知らないと否定してしまったのです。その時、鶏の鳴き声が聞こえて来まして、イエスさまの言葉を思い出したペテロは、外に出て行って激しく泣きました。自分の思いや信仰を自分の力で守ることが出来ると思っていたぺテロでしたが、そうではなかったのです。ペテロの涙、それは自分の弱さをしり、そのような自分さえも愛してくださったイエスさまの愛が分かった事だと思います。私たちもこのような涙をながし、自分の弱さを知り、神の愛を覚えて歩んで行く者になりたいと思います。

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