11月23日(日)礼拝メッセージ要旨
「回復させて下さる神」 ペテロの手紙第一5章8〜11節
本文を通して、この世において信仰者として生きるということが、どのような意味を持つのか、共に考えて見たいと思います。
まず、ペテロは、私たちに「身を慎み、目を覚ましていなさい」と勧めます。 なぜなら、私たちの敵である悪魔が、あたかも「吼えたける獅子のように」信仰者を食い尽くそうと昼夜を問わず探し回っているからであります。悪魔は、私たちが神様から引き離されるよう、あらゆる手段を用いて、巧妙な欺きをもって私たちの弱さに付け込んできます。教会の中の争いや誤解、人間関係における憎しみや蔑みの背後には、常に悪魔が私たちの信仰を崩そうと虎視眈々と狙っているという事実を、決して忘れてはなりません。使徒パウロが言いましたように私たちが格闘すべき相手は血肉ではなく、この暗闇の勢力を支配する悪霊どもなのです。
では、この恐るべき敵を前にして、私たちが携えるべき唯一の武器は何でしょうか。ペテロは、ただ信仰に堅く立ちなさい、と言います。この信仰とは、私たちがたとえ悲惨な苦難のただ中にあっても、「恵みに満ちた神が、私たちをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった」という確信に、足をしっかりと踏みしめ、決して一歩も外れないことであります。
そして、私たちの苦難は永遠には続きません。ペテロははっきりと「しばらくの苦しみの後」と語っています。この苦難が終わった後には、「恵みに満ちた神ご自身が、あなたがたを回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる」のです。苦難は私たちをみじめにさせますが、実は私たちの信仰を火で精錬された金よりも尊いものとし、まるで破れた網を繕うように、私たちの弱い信仰を完全に回復させてくださる神様の道具なのです。苦難の中でこそ、私たちは自分自身や人に対する期待を捨て、ただ神様の御胸に飛び込むようになり、信仰の土台がさらに堅固になっていくのであります。
ですから悪魔が私たちを崩そうとすればするほど、私たちは信仰に堅く立ち、しばらくの苦難を乗り越えて行きたいと思います。神様は必ず私たちを回復させ、完全にしてくださいます。その恵みが世々限りなく、皆様と共にありますように、心よりお祈り致します。
