11月16日(日)礼拝メッセージ要旨
「ガリラヤに行くように」 マタイによる福音書 28章 1-10節
「週の初めの日の明け方」マグダラのマリアともう一人のマリアがイエス様の墓へ行きました。この時、彼女たちはイエス様のお体に塗るための香料を持っていました。ということは、彼女たちはイエス様の復活など想像も出来ず、墓に向かったということです。イエス様は、ご自分の受難と死、そして復活について、三度も弟子たちに予告なさいましたが、マリアたちも弟子たちも、その真意を深く理解していなかったのです。
ところが、そこで驚くべき出来事が起こりました。大きな地震と共に主の使いが天から降りてきて、大きな石をわきに転がし、その上に座ったのです。そして主の使いは、マリアたちにイエス様の復活の事実を告げます。そして、使いはマリアたちに「急いで行って、弟子たちに伝えなさい」と告げました。絶望と恐れの中にいた弟子たちへ、この希望の知らせを「一刻も早く」伝えるように、ということでした。そして復活の事実だけではなく「イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこで、お会いできます」という約束のメッセージもありました。
それを聞いたマリヤたちは、大いに喜び、急いで弟子たちのところへ走って行きましたが、今度は復活されたイエス様ご自身が姿を現されました。そして使いと同じように「ガリラヤに行きなさい。そこでわたしに会えます」と、弟子たちに伝えるように語られます。イエス様は、ご自分を裏切り、捨てて逃げてしまった弟子たちのことを、「わたしの兄弟たち」と呼び、彼らを赦してくださいました。そして再び「わたしに会えます」という喜びと希望のメッセージを伝えられたのです。
この「ガリラヤ」は弟子たちにとってどのようなところでしょうか。ガリラヤは、他でもない、弟子たちが初めてイエス様と出会い、弟子として召された場所です。その時弟子たちは、すべてを捨ててイエス様の呼びかけに応じ、信頼と愛をもって従った、弟子たちの信仰の原点とも言える場所です。
恐れと失敗の中にいる弟子たちを、あえてその「ガリラヤ」に行くようにされたのは、彼らのつまずきや失敗を責めることなく、彼らのイエス様への熱い心、すなわち「信仰」をもう一度回復させてくださるためでした。ですから、ガリラヤは、つまずきと絶望から立ち上がるための回復の場所だったのです。
私たちにもつまずき、失敗した時に帰るべき場所、立ち返るべきガリラヤがあります。それは、今この場所、共に集まって主を礼拝している守山キリスト教会です。毎週の礼拝を通して、神様は私たちを励まし、力を与え、愛を注いでくださいます。この礼拝を通して、私たち一人ひとりが、愛に満たされて主の弟子として愛を現して歩む者となりますように、心から願います。
