礼拝メッセージ

10月14日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「主イエスの死の恵み」           ルカの福音書9章18~22節

「表見せ裏を見せ逝く落ち葉かな」 本日の聖書の箇所は、この一句を連想させます。今主イエスはここで初めて、ご自身の苦しみ、十字架の死、そして甦りについて予告されます。それは奇跡やいやし、また力ある業を示し続けてきた、今までの主イエスの強さとは余りにも違うものでした。これまでの弟子たちは強い主イエスだけを見てきました。そしてあのペテロの力強い「神のキリストです。」(ルカ9:20)という信仰告白がなされました。そのような期待をもって主イエスを見ていた弟子たちは、主イエスの言われる苦難と十字架の死の意味が理解できなかったのです。ではなぜここで主イエスは、ご自身の苦しみと死を予告なさったのでしょうか。それは、ご自身の死について弟子たちが、より深く考えるようにとの思いからでした。死は死に逝く人と自分の関係によって、意味のあるものとなります。「関係における死」という捉え方です。だから主イエスは、ここで弟子たちに対して、強い主イエスだけを見ていては、本当の救い主イエス・キリストの姿は見えてこない。主イエスの弱さの部分を見て始めて、救い主イエス・キリストの全体像がわかるのだと教えておられるのです。ウエストミンスター小教理問答は、この弱さを「キリストの低い状態」と呼びました。しかし、ここに現れる主イエスの弱さは、実に弟子たちの弱さであり、私たちの弱さなのです。「あなたは神のキリストです。」と告白したペテロは、その後主イエスを裏切るのです。これはまた、私たちの姿でもあるのです。主イエスは、私たちの弱さゆえに、その弱さ、苦しみを共にされるために、私どもにとっては、弱さ以外の何ものでもない、十字架の死の姿を示されたのです。後にペテロは主イエスの死について「キリストは自分から十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。…キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。」(第一ペテロ2:24)と語り、主イエスの十字架の死の意味を理解できたのです。そして、主イエスの死の恵みに生きることで、「キリストの苦難の証人」(第一ペテロ5:1)として生き続けたのです。

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