礼拝メッセージ

1月5日(2014年第一主日) 礼拝メッセージ要旨

 

「慰めの子―ノア」                創世記5章28~32節

 人間の一生は、最終的には二つの言葉で言い尽くすことができます。その言葉とは「生」と「死」です。「私は、主によってひとりの男子を得た。」(創世記4:1)という、人類最初の母の喜びの声を耳にし、それに続く10人の父祖たちの名が記されたこの系図は、「息子、娘たちを生んだ。」という「生」の言葉と「彼は死んだ。」という「死」の言葉が、織り合わされ、単調な響きをもって何度も繰り返し記されております。すなわちこの系図は、人間の生誕の記録だけではなく、死の記録でもあるのです。今や私たちは、この系図を通して、人間の本質的な姿、「われわれは生まれ、そして生きる者。」であることと、「われわれは必ず死ぬ者。」であるという、この二つの事実の前に立ち尽くすのです。その系図の最後に登場する「ノア」は、名前の意味するところの「安息」「休息」「慰め」の子として誕生します。しかも「ひとりの男子」(創世記5:28)として、特別な期待、特別な喜び、特別な意味の男子として生まれたのです。そしてこの「ひとりの男の子を生んだ。」(創世記5:28)という言葉と、「この子は慰めを与えてくれるであろう。」(創世記5:29)という言葉は、重要な意味を持って私たちに語りかけます。何故ならこれらの言葉は、将来、神のひとり子として来られる、イエス・キリストを予表するものだからです。あのイザヤが「ひとりの男の子が私たちに与えられる。」(イザヤ9:6)と預言し、ヨハネが「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに…」(ヨハネ3:16)と語った言葉につながり、「慰め」はイザヤ40章1節の「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」のメシア預言に結び付くからです。ノアは堕落した人類を洪水によって滅ぼされる神の裁きの中で、神に従順に従い箱舟を備えることによって、その家族たちに救いと安息を与えるという、自らの生き方を通して人類に真の休息と慰めをもたらす、イエス・キリストを私たちに指し示したのです。

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