礼拝メッセージ

9月25日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「いまわの愛 ー 十字架上の犯罪人」    ルカの福音書23章32~43節

東日本大震災から6ヵ月が過ぎました。あの震災で、2万人もの命が失われました。ということは、大勢の人がその死という現実に向き合ったことになります。「人はやがて死ぬものである」という認識は、当然のように受け入れ、人の死は日常的なこととして受け止めて私たちは生活していました。しかし、あの大震災は想定外の出来事であったように、その死も想定外のことでした。死ぬとは全く思っていなかった大勢の人たちの命が、瞬時に奪われてしまった。この死を目撃したり、自分が死の危険に直面して、「人は死ぬ者である」ということを、自分の問題として考えさせられたのです。「死」というものが人ごとではなくなった時に、「死」とは何かという問題と真正面から向き合い、自分はどういう死を迎えるのか、そのために今をどのように生きるべきか、人は死んだらどうなるのであろうかということを真剣に問い始めるのです。聖書はこのような「人の死」について考えさせてくれる事件や人物について多く書き記されておりますが、その人物の一人が十字架上の犯罪人です。二人の犯罪人(強盗)のうち、一人が自分の罪を悔い改め救われたのです。この犯罪人は十字架につけられ、あざけられ死に向かいつつあるキリストを信じ、この方の御国が必ず来ると信じ、「イエスさま」と呼び求めたのです。(ルカ23:42)それまでの彼の人生の背景もその犯罪の動機についても、聖書は何も記しておりません。あたかもそれらの事は不必要とばかり、十字架の彼の姿を描くことに集中しております。この犯罪人の死を通して見えてくるものがいくつかあります。その一つは、この犯罪人は、激しい痛みと苦しみで死に直面しつつ、また救い主イエスの悲惨なありさまを見ながら、それでもなお信じ永遠のいのちを受けたことです。彼は死の瞬間に、自己に目覚め、神に心を向けたのです。このことは、人はいのちのある限り、悔い改め、神のもとに立ち返ることは可能なのだということを示しております。次にこの犯罪人は「イエスさま」と呼びかけ、主イエスが神の国の王となられる時「私を思い出してください」(ルカ23:42)と、主イエスへの信頼を込め、それまで断絶していた神との関係の回復を求めたことです。人は神に似せて造られた存在ですから、心の内に神を呼び求めるものであります。こうしてこの犯罪人は地上の生涯における主の最後の伝道において救われた人となり、パラダイスにおける主の最初の友となったのです。私たちもいずれの日か、主イエスとともに永遠に住まうものとされます。その主の栄光と祝福と主の完全さのうちにあって、主とともに生きるようになるのです。この方のおられる所で、この方に似る者として生きるのです。この喜びこそ、呪わしい十字架に架けられた一人の犯罪人の死を通して、私たちに告げ知らされていることなのです。


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