礼拝メッセージ

8月28日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「慟哭の愛 ー ペテロ」          ルカの福音書22章47~62節

ペテロという人物を思い描く時、決まってある光景が浮かんできます。その光景とは、母親の後を泣きながら、必死に追いすがる子供の姿です。自分の思うように事は進まなかった。そこで駄々をこねて座り込み、母親を困らせようとするが、母親は無視して先を歩いていく。子供は泣き声を上げて母親の後を追う。そんな子供を母親は振り返り叱りつつ歩いていく。子供は遅れまいと母親の後を追う。そこには『それでも信じて疑わない母親の愛情に生きる子供の姿』があります。その子供の姿にペテロが重なって映ります。福音書に登場するペテロは激しく泣きながらも、主イエスに従い通した人物でした。ガリラヤで漁師として生きていた無学なペテロがキリストの弟子として全くの別世界に生きることになります。しかし生来の気質は変わるはずもなく、躓き、不信仰、思い込み等、軽薄な言動によって、度々主イエスに叱責を受けます。そして決定的な場面を迎えます。あの十字架の出来事を前にして、三度主イエスを否定するという裏切り行為でした。ルカ22章でイスカリオテのユダの裏切りとペテロの裏切りを同時に並べながら、その結末において、全く違った二人の姿を描きました。ルカは「主が振り向いてペテロを見つめられた」時、「彼は、外に出て、激しく泣いた。」(ルカ22:61~62)と悔悛の涙にくれるペテロを印象深く書き残しました。そのペテロが再び登場するのは「使徒の働き」です。その前半の主人公として初代教会の形成に重要な足跡を残した姿が紹介されております。それからその信仰の円熟、成熟をつぶさに知ることができる「ペテロの手紙第一・第二」を通して晩年のペテロの姿を見ることができます。その信仰は揺らぐことなく、深みを増し、苦難の中にある兄弟姉妹たちへ、慰め励ましを与える豊かな信仰へと高められています。こうして信仰者としての生涯を全うしたペテロの航跡を見ます時に、そこにいくつかの主イエスのお取り扱いがあったことがわかります。『見つめられること』『祈られていたこと』『説得されたこと』です。ペテロはガリラヤ湖で主に見つめられ弟子となりました。その時から主イエスは片時もペテロから目を離されることはなかった。ペテロが自分を裏切ると分かっていた時も「わたしはあなたのために信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」(ルカ22:32)とペテロに語りかけられました。そして復活された主イエスは、ペテロとの再会で、三度も「あなたはわたしを愛しますか。」(ヨハネ21:15~17)と呼びかけられ、この一人のガリラヤの漁師を説得されるのです。「ペテロよ、私はお前を必要としている。かねて約束した通り、わたしはお前を人間を取る漁師にする。」この時からペテロは主イエスの確かな恵みの手ごたえの中に立ち続け、その生涯を終えたのです。



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