礼拝メッセージ要旨

12月8日(日)礼拝メッセージ要旨

 

マタイの福音書 22章1〜14節              「選ばれた者」
本日の本文は王子の結婚披露宴を催した王のたとえ話です。このたとえ話も1節にありますように、祭司長たちと長老たちにお話ししてくださったことです。そしてそのメッセージは、神様のみことばに従わなくキリストを拒んだイスラエルはその選民としての特権を取り去られて、神の国は新しい神の民に与えられるということです。
たとえ話を見ますと、王様が王子のために結婚の披露宴を催して人々を招きました。ところが招かれた人々が王様から送られた知らせを聞いても披露宴に行こうとしなかったのです。当時は宴会を催する時は、何日か前に招待しておきます。そして宴会の準備ができますとしもべを送って宴会に招きます。ですから、招かれた人々は前から披露宴のことを知っていましたし、最初の招待には参加の返事をしたことだと思います。しかし、拒んだということです。それでも王様はもう一度しもべ達を送ります。ところが、今度はしもべ達を気にもかけず、自分たちの用事に出かけてしまい、ある者はしもべ達を恥をかかせ、殺してしまったのです。王様は怒り、兵隊を送って彼らを滅ぼし、街を焼き払いました。そして王様はしもべ達を大通りに送り、出会った人々を皆招くようにし、宴会場は客でいっぱいになりました。その姿を見るために宴会場に王様が行きますが、その中で婚礼の礼服を着ていない一人がいまして、しもべ達に彼を縛って暗闇の外に追い出すように命じます。
以上のたとえ話から、私たちは父なる神様の恵みと愛を知ることができます。王様はどうしても多くの人々を招いて王子の結婚を祝い、ともに喜びを分かち合いたかったと思います。そのように父なる神様もより多くの人々を御国に招き、ともに喜ぶことを願っておられます。そしてそのように招かれだ人々に必要なものが一つありますが、それは礼服というイエス・キリストを着なければならないということです。私たちのご自分お民として招いてくださり、キリストを着させてくださった神様の恵みと愛に感謝し、それを証しする者になりたいと思います。

12月1日(日)礼拝メッセージ要旨

 

イザヤ書 8章1〜8節                「神に立ち返る」
本日の本文は預言者イザヤを通して神様が南ユダに語ってくださったことです。当時南ユダは、アラムと北イスラエルの連合軍の脅威に「王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺」しました。そのような南ユダに神様は「恐れてはなりません。」とそして「あなたの神、主から、しるしを求めよ。」と、神様に助けを求め、神様に頼りなさいということを語ってくださいます。ところが、このような神様からのみことばを聞いたアハズ王はそれを拒み、神様にということではなく当時の力強いアッシリアに助けを求めました。それは神様を拒みアッシリアを選んだことであり、神様よりアッシリアをより信頼したことでもあったのです。
そのような南ユダに語ってくださったのが今日の本文のみことばです。神様はイザヤに「マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため」と一つの大きな板に普通の文字で書かせます。それは、このことを多くの民が知ることができるように死なさい、ということです。そしてその言葉の意味は「分捕り物は速やかに、戦利品は急速に」ということです。そして神様はイザヤに、男の子が生まれますとその名前を「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」と付けさせます。それは4節に書いてありますように「この子がまだ『お父さん。お母さん』と呼ぶことも知らないうちに、ダマスコの財宝とサマリヤの分捕り物が、アッシリヤの王の前に持ち去られるから」です。すなわち、アッシリアを用いてくださり、アラムと北イスラエルを追い払ってくださる神様のことを覚え、神様に頼りなさいということです。
しかし南ユダは、神様からの預言通りになっても神様を拒み、アッシリアを選びます。そのような南ユダに対して神様は「インマヌエル」の約束を与えてくださり、神様に立ち返ることを語ってくださいます。私たちは何を選び、何に頼っているでしょうか。神様に立ち返り、その教えを喜び、みことばに従って歩む者になりたいと思います。