礼拝メッセージ要旨

2月25日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「悔い改めないなら」             ルカの福音書13章1‐5節
私たちが生きているこの世界では誰も予想出来ない色々な自然災害が起こります。特に日本は地震、洪水、火山、津波等、こんなにも多い震災が一つの国の中で起こるのかと思われるほど、種類もその発生件数も多い国だと思います。日本においては東日本大震災も大変なことでした。海外においては2010年にあったハイチ地震は死者だけでも31万6千人程に及ぶものであって人間の想像を超えた地震災害でした。毎年、世界各地で、そして日本においても色々なところで災害が起きて、それによって多くの人々が命を失い、被害にあった人々は大変な生活をするようになります。私たちはそういうことを聞いてどのように受け入れればよいでしょうか。本日の本文は、災害そのものについて語られたことではありませんが、予想出来なかった事故や災害の話しが出て来ます。
最初の話しは、ガリラヤからエルサレムに来た人々が神殿でいけにえをささげている時、ピラトが送って兵士たちによって殺されたという事です。その残酷な光景をルカは1節で「ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜた」と伝えています。そしてもう一つの事故は、シロアムの塔が倒れて18人の人々が亡くなったという事です。二つのことは、亡くなった本人にとっては予想出来なかったことであり、突然起きたことであります。ところが、こういう事故について当時のユダヤ人たちは、その人に深い罪があって神さまが裁かれたと思っていました。そのように持っている人々にイエスさまは「そうではない。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と、それも3節と5節で2回も繰り返して語っておられます。即ち、他人の罪よりも自分自身の罪を省みなさい、そして自分の罪を悔い改めなさい、といことです。こういうイエスさまの教えを通して自分にこそ罪あるものだ、といことを覚えて、悔い改めて私たちに教えて下さる信仰の道を歩んで行きたいと思います。

2月18日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「キリストにあっての恵み」     コリント人への手紙第一 1章4-9節
このコリント人への手紙はパウロがコリントの教会に送って手紙であって、パウロのコリントでの宣教活動については使徒の働き18章以降に詳しく記されています。コリント地域は、パウロの第2次伝道旅行の中で、非常長い間滞在し、福音を伝えたところです。1か月半位、それもあの有名なアクラとプリスキラ、そしてシラスとテモテまでも、このコリントで一緒に福音を伝えました。異邦の地に、偶像の多いところで苦労し教会を建てたところであって、それほどコリントはパウロにとって特別な意味があります。ところが、このコリント人への手紙第一では、当時コリント教会が抱えていた多くの問題を取り扱います。本日の本文の次、直ぐに分派と分裂の問題について語ります。そして結婚の問題、偶像にささげた食べ物の問題、公の礼拝においての問題、霊的賜物の問題、復活の問題など、その種類や数は他の手紙では見ることが出来ないほど、多様で多いものです。
そのようなコリントの教会を思うパウロの思い、その心はどのようなものだったでしょうか。聞こえて来る色々な噂、問題など、それによってパウロは喜ぶことが出来ない状況であったかもしれません。到底、彼らのことを思って感謝をする、と言うことが出来なかったかもしれません。しかし、そのようなコリントの教会に送る手紙、その最初のことばは、彼らに対する失跡や咎めること、非難することばではありませんでした。本文の4節をご覧になりますと「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。」とありまして、神さまから恵みを覚えて神さまに感謝をささげるパウロです。
私たちがどのような状況におかれているとしても、そしてどんな人に対しても、先ずは自分に与えられた恵みを覚えたいと思います。イエス・キリストにあって私たちに与えられた恵みを覚え、神さまに感謝をし、そこから希望を見出すことが出来るものになりたいと思います。

2月11日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「時代を見分ける信仰」             ルカの福音書12章54-59節
 昔も今も、天気予報は日常生活において非常に重要なことです。特に、今のように寒い季節には天気予報を見て準備しないと大変なことになります。最近はテレビやインターネット、又はスマートフォンなどで現在の地域の天気やその一週間のこともを詳しく分かります。そしてそれも非常に正確なものです。ところが、今日のように科学が発展していなかった時にも、経験を通してある現象がおこると、それを見てこれからの天気がどうなるのか、といことを予測して来ました。
 本日の本文でも、イエスさまは当時ユダヤ人たちが良くしていた天気予報、ある自然現象について話されます。そしてその現象を通して天候のことを見分けることが出来るのに、如何して今の時代について見分けることは出来ないのかと問われます。この時、イエスさまが話される「今のこの時代」というのは、御子キリストがこの地上に来られて、神の国を伝え、力をもって奇跡を行なうイエスさまの時代です。即ち、自然のある現象を見てこれからの天候を見分けることが出来るのに、どうして旧約聖書から預言されたメシヤ、そのメシヤとして来た私のことを見ているあなた達は、それを見分けることが出来ないのか、ということです。そして何故、救い主としてこの地上に来た私のことを見ても、あなた達はそれを確かめようともしないのか、ということです。イエス様は色々なところでご自分がキリストであることの証しを示しておられ、ご自分のことを多くの人々に教えてくださいました。そのようなイエスさまを見ても分からない、見分けることが出来ない人々に例え話を通して神さまと和解しなさい、と教えてくださいます。
 今、私たちのためにこの地上に来てくださったイエス・キリストを信じ救われなければ、その人を待っているのは最後の審判であり、その結果は牢に投げ込まれることです。まだ、その途中にある時に、私たちの救い主であるイエス・キリストを信じましょう。また、既に信じている方々はその恵みに感謝して生きて行きたいと思います。

2月4日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「私たちと共にいる神」          出エジプト記3章1-12節
 私たちがクリスチャンとしてこの世の中で生きて行く時に、神さまを知らない人々と異なることがありますが、その中でも大切なものは神さまが呼んでくださったという事を覚えて生きて行く事です。本日の本文は、神さまがモーセを呼んでくださる内容ですが、本文を通して私たちを呼んでくださる神さまについて考えて見たいと思います。
 先ず、神さまは私たちを呼んで下さり、そのような私たちを通してご自分のご計画を成し遂げてくださいます。ある日、神さまはモーセに不思議な現象を見せてくださり、そんな中でモーセを呼んでくださいます。そして「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。」(出3:7)と、その目的を教えてくださいます。神さまのご計画の中で時が満ちて、エジプトで奴隷の生活をしていたイスラエルの民を、モーセを用いて連れ出そうとなさった事です。その苦しみから救い出そうとされた事です。そのためにモーセを呼んでくださいました。それと同じく、神さまは私たちを通して、私たちを家族や友人等、私たちの周りにいる人々に福音を伝えるために私たちを呼んでくださるのです。そしてそのような私たちを一人でほうっておくのではなく、いつも私たちと共にいてくださいます。本文で神さまはモーセに「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」(出3:12)と仰ってくださいます。これ以上大きな力になることはありません。全治全能であられる神さまが共にいてくださる。それによってその人はどんなことも十分に成し遂げることが出来るのです。
 私たちを召してくださり、その私たちを通して御救いのご計画を成し遂げてくださる神さまの事を覚えて、どんな状況の中でも神さまの愛を、そして福音をのべ伝えて生きて行きたいと思います。