礼拝メッセージ

12月26日(日) 礼拝メッセージ要旨     伊藤京一教師

 

「主をほめたたえよ」                詩編103編1~5節

「ダビデによる」…BC1000年頃のイスラエルの王。彼は初代の王サウルから、いのちを狙われ、長い間逃亡生活を送り、数々の苦しみや危険、困難に直面した。そのような経験の中で神への祈りとも言うべき多くの詩編を残した。この103篇も多くの人に親しまれている。                     「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ」(1)作者は自分自身のたましいに語りかけるというかたちで、私たち信仰者が何をなすべきかを教えます。それは主をほめたたえることです。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(2)これがなぜ主をほめたたえるかの理由。具体的には次節以下。「主はあなたのすべての咎を赦し」(3)神との交わりの回復なしには神からの良きものが受けられません。それゆえにまず第一に罪咎の赦しが述べられているのです。「あなたのすべての病いをいやし」肉体はいやされてもやがて古び衰え死に至る。最も大切なことは死と滅びに至る病いである罪の解決、いやしです。「あなたのいのちを穴から贖い」(4)「穴」とは死と滅びを象徴するものであり、神の前に罪ある人間が本来行くべきところ。しかし神はご自身のひとり子イエス・キリストを私たちのために、この世界に送ってくださり、罪の暗闇の中を歩み、人生の空しさや神のさばき、死への恐れなどをもって生きていた私たち人間に救いの道を開いてくださった。これが神が私たちのためになしてくださったことなのです。「あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ」私たちを待っているのは神の怒りとさばきではなく恵みとあわれみなのです。(ローマ6:23)「あなたの一生を良いもので満たされる」(5)神のよしとされるすべての良きものが、満ち足りるまで神のもとから私たちのところに来る。これが神が私たちに望んでおられること。何と驚くべきことでしょう。(エレミヤ29:11)しかし覚えておかなければならないことは、これは神のみこころにかなったものが与えられるのであり、決して私たちの自己中心的な思いを満たすためのものではありません。「あなたの若さは、わしのように、新しくなる」わし(鷲)は年老いるまで、いつまでも活力に満ち、力強く、長生きする。それと同様に、神を信じより頼む者も神の力によって支えられるのでその力はいつも欠けることがない。(イザヤ46:3~4、Ⅱコリント4:16)                                                                         この一年もさまざまな出来事がありました。しかし、私たちまことの神を信じる者にとってはどのような出来事が起ころうとも、それらはすべて神がご存知であり、私たちの弱さや苦しみ悲しみを知ってくださり、慰め励まし、また新しい力を与えてくださるのです。私たちは様々な事件、出来事の前に不信仰、悲観的、投げやりになって空しい思いを持って生きていくのではなく、この一年の終わりにあたって主が私たちのためになしてくださった良きことをよく考え、思い返して感謝の思いに満たされ、主をほめたたえる者となりましょう。


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