礼拝メッセージ

11月30日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「この世に来られたキリスト」         ヨハネの福音書4章3-19節

イエス様の当時、ユダヤ人とサマリヤ人は同じ民族でありながらも仲が良くなかったです。エルサレムからガリラヤに行くためには、その間にあるサマリヤ地域を通る道が一番短い道でした。しかし、数多くのユダヤ人たちはサマリヤ地域を通る道を選ばないで、わざと遠い道でガリラヤに行ったりしました。サマリヤ地域を通れば二日位で行けるのに、遠回りで六日間位掛かる道を選ぶほど、ユダヤ人はサマリヤ人を嫌がっていました。

しかし、今日の聖書を見ますと、イエス様はエルサレムからガリラヤに行く時にわざとサマリヤ地域を通って行かれたということがわかります。それは、サマリヤの人々にも福音を伝えるためでした。そのような目的を持ってサマリヤに行かれたイエス様は、井戸のそばである女性に出会って彼女に永遠のいのちへの水について話してくださったのです。

この女性も訳があって、井戸に暑いお昼の時間に来ました。それは自分の罪の故、多くの人々から嘲られたり嫌われたりしたので、そのようなことを避けて人がいない時間に井戸に来たのです。ところが、イエス様がちょうど彼女が井戸に来る時間に、井戸のそばで休んでおられたのです。これは、その女性に福音を伝えるためにそこで待っておられた事です。イエス様は何故、サマリヤ地域を通られたのか。それはその地にいる人々に福音を伝えて彼らを救うためなのです。その女性に永遠のいのちについて教えてくださるために、彼女のところまで来てくださったことであります。

そして、イエス様に出会った女性も段々変わって行きました。イエス様に出会った最初の時は、彼女もユダヤ人がサマリヤ人の自分に声をかけたので不思議に思ったと思われます。しかし、イエス様と会話をしている内、この方について少しずつ分かって来ました。やがては、イエス様がキリストであることを信じるようになったのです。

イエス様は、何故この世に来られたのでしょうか。それは、自分の罪の故に苦しんでいる私たちを救ってくださるためなのです。

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