礼拝メッセージ

11月3日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「祝福と罪の系図」                 創世記5章1~32節

人間の歴史はアダムとエバによって始まり、人間の性質はカインの流れと(創世記4:16~24)、セツの流れ(創世記4:25~5:32)の2つの流れによって展開していきます。創世記5章では、「神から離れ去った」カインの系図に終止符を打ち、セツによる新しい信仰の系図を紹介しています。カインが見せる不信と殺人という罪悪の中で、セツの系図の登場は人類に新たな希望を見せてくれます。では系図にある、その名を残すそれぞれの世代を代表する人々が、熱く語っている共通のメッセージとは何でしょうか。それは2つの文章で言い表すことができます。                                   その一、「それでもなお祝福の中に生かされる人間」 神にそむき、罪を犯したにもかかわらず、それでもなお神の祝福の中に生かされている人間。人はみな「神の像」を持っています。それゆえ人間は神の赦しの中で、祝福を与えられた命を受け継いでいくのです。それが人間の歴史なのだと、この系図は私たちに語りかけているのです。                                                                            その二「それでもなお罪の中に生きる人間」 5章の系図は神の祝福だけを受け継いでいるのではなく、罪を犯す「人間の像」も受け継いでいるのです。その結果、神の祝福の中に命が受け継がれた人々は世界中に増え広がってはきたけれども、アダム以来の罪の性質もまた受け継がれて世界中に増え広がっているのです。このように光と闇、祝福と呪い、命と死を告げる5章の系図は、ノアとノアの子孫たち、セムに続きアブラハムに至る系図に繫がります。そしてそれは新約聖書のマタイの福音書1章1節の「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」に繋がるのです。マタイはアブラハム以来の長い歴史を14代づつ3つの時代に区切って、ついにイエス・キリストに行き着く系図にしています。そしてこのイエス・キリストを信じることができた時、私たちはあのエノクのように、神と共に生きる者とされるのです。そして「神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(創世記5:24)とあるように、神と共に死にゆく者ともされるのです。

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