礼拝メッセージ

11月28日(日) 礼拝メッセージ要旨  吉澤慎也KGK主事

 

「御言葉に生きる」            ローマ人への手紙12章1~2節

私たちは「神のあわれみのゆえに」信仰を通して義と認められました。「そういうわけですから」私たちは「からだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」と、お願いされているのです。「からだ」というのは、私たちの全人格・全存在のことです。そのからだをささげる、すなわち献身とはどういうことなのでしょうか。この手紙は「兄弟たち」に宛てて書かれた手紙ですから、献身ということを全てのキリスト者に対してお願いされている勧めとして受け止める必要があります。献身とは牧師になるというような職業の問題ではなく、生き方のことなのです。また「霊的な礼拝」というのも同様です。それではどのような生き方が献身だと言えるのでしょうか。私たちの人生には、数多くの決断・選択の時がありますが、私たちはどのような基準で道を決めているのでしょう。それは多くの場合、私たちの思想や価値観によっているのです。「この世と調子を合わせてはいけません」ということは、この世やこの時代の考え方に合わせてはいけないということです。「むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのか」という世界観を持つように、自分を造り変えられなさいと言われています。それが献身的な生き方となっていくのです。「神のみこころ」とは二者択一的にみこころの方を選択する、というような考え方ではなく、みこころにかなう生き方ということです。そしてその神のみこころは聖書に記されています。ですから聖書的な世界観で世の中のあらゆる事柄を考え、それに関わろうとする生き方こそが、献身であり、御言葉に生きるということなのです。私たちは社会問題や身近な課題について「神のみこころは何か」という世界観で考え、御言葉に生きなければなりません。何故ならば、私たちはイエス・キリストの福音のゆえに、義と認められた存在だからです。

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