礼拝メッセージ

11月27日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「クレネ人シモン ー強いられた愛ー」   マルコの福音書15章16~22節

クレネ人シモンは肩にくい込む十字架の重みとその痛さに耐えながら、心の中で何度も「どうして自分が。」と呟いていた。彼は聖なる都で過ぎ越しの祭りを守るために、遠い国クレネより巡礼の旅を続け、やっとエルサレムに着いた。それが、処刑場に引かれていく犯罪人の一団に出会ったために、無理矢理、十字架を負う羽目になってしまった。こうして彼は、おそらく人々のあざけりとひやかし、笑いのうちに思いもよらず、イエスの苦難と死の只中に巻き込まれてしまったのでした。十字架を背負って進むシモンの前には、初めて出会った彼の知らない一人の男が、疲れ果て、傷つき、消耗し尽くした体をやっと支えながらヨロヨロと歩いています。イエスと呼ばれた男がどんな人物なのか分からないけれど、十字架刑という罪の片棒を担がせた罪人であり、人々の面前で恥をかかせたローマ兵とともに、彼らへの恨みでシモンの心はいっぱいであったことでしょう。彼はついにゴルゴダの丘についたときに、出来るだけその場から早く立ち去りたいと思ったでしょう。しかし、彼の心の中で何かが起こった。なぜならマルコはここでわざわざアレキサンデルとルポスの父でシモンというクレネ人と彼のことを紹介していることに注目したいと思います。恐らくシモンは十字架上の光景を見ることになったのではないでしょうか。キリストの死の場面の中心に居た彼は、あのローマの百人隊長のように「この方は、まことに神の子であった。」と告白したのか、あるいは後になってキリストについて思い巡らす中で「自分は、キリストの十字架を背負わされ、苦しみと恥とを味わった。神さまはなぜそのようなことをなさったのか、その時は神さまのご意思がわからなかった。しかし今、それがはっきりとわかるようになってきた。自分は『キリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態に(ピリピ3:10)』置かれたのだ。」と導かれていったのではないでしょうか。神による強いられた愛は彼の心を砕き、キリストへ結びあわされ、彼の人生を大きく変えていくこととなりました。マルコは、その彼とは、アレキサンデルとルポスの父だと但し書きを添えました。マルコの福音書はローマで書かれたといわれております。福音書の読み手(聞き手)がよく知っているそのルポスは「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」とローマ人への手紙16章13節に登場します。おそらくシモンの家族はローマでも有力なキリスト教徒の家族となっており、ローマ教会で中心的な役割を果たすようになっていたのではないでしょうか。クレネ人シモンはキリストの祝福と喜びに預かった人々と違って、キリストの苦しみと悲しみを共にすることから出発しました。彼は私たちに「神のご計画というものは、しばしばそこまで行き着かなければわからないものです。途中で投げ出しては、いつまでたっても本当の恵みはわからないのです。」と語りかけているようです。

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