礼拝メッセージ

10月31日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「もはや私が生きているのではない」   ガラテヤ人への手紙2章19~21節

10月31日は宗教改革記念日です。1517年ルターがたった一人で、あの強大なローマカトリック教会に対して、「義人は信仰によって生きる」という、福音の真理を真正面に揚げ戦いを開始した歴史的出来事が起こった日でした。それはすでに約1500年前パウロが、ガラテヤ教会と対峙した戦いでありました。人間が直面している差し迫った問題、それは「人はどうして神の前に正しくあり得ようか」という問題です。パウロもルターもこの問題に直面し、『正しい』ということは『正しい行いである』と考え、神の律法を守り従うことこそ正しい行いであると考えました。そのため律法の求める行いに励み務めます。しかし『キリスト・イエスを信じる信仰によって義とされる』という、福音に目が開かれた時、それまで自分が行ってきたことは、人間の考え出したものであり、不必要で、無駄、無益な努力にすぎなかったことを悟りました。その結果パウロもルターもどこまでも人間の行いを強調する律法の道ときっぱり決別して、福音の道に生きることを決意したのです。その生き方をパウロは「私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。」と語り、それはまたルターの体験でもありました。ここに『私が』『私は』『私の』と全てが『私』を中心として『私』を誇る生き方から『もはや、私が生きているのではない』と断言し、『キリストが私のうちに生きておられる』という新しい自分の存在を再発見し、自らの人生を大きく転換させたパウロの姿が、歴史の時空を越えてルターという一人の人間に投影され、あの宗教改革運動を生み出したのです。キリスト・イエスにあるものは『もはや私が生きているのではない』のです。『キリストが私のうちに生きておられる』ことを覚えましょう。

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