礼拝メッセージ

1月6日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「主の御業によって」               第二列王記5章1-7節
本日の本文は、アラムの将軍であるナアマンという人物についてのことです。私たちは、この本文を通して、異邦の国で神様を知らないナアマンにも神様は非常に細密に導いて下さるお方であることを見る事が出来ます。本文の1節によりますと、ナアマンは、主君、即ちアラムの王様にも重んじられ尊敬される人物でした。アラムの将軍であるナアマンは、地位も名誉もあって多くの人々からも尊敬される人物であったと考えられます。そういうナアマンは、社会的身分や、地位、名誉、そして権力や富まで何一つ足りないものはない人であったでしょう。
ところが、1節の終わりには「この人は勇士であったが、チャラアトに冒されていた。」と書いてあります(新改訳2017)。これは何を表わしている事でしょうか。それは完璧に見える者、足りないものはないように見えるナアマンにも、深い悩みがあったということでしょう。王様までも彼を重んじ尊敬している、戦いにおいても勇敢な勇士であったが、彼はチャラアトという大変深刻な病で深く悩んでいた、といことです。幾らナアマンであるとしても、このチャラアトだけは自分の力で解決できないことであって、それは彼の人生において大きな苦しみであり大きな悩みであったのです。
神様は、そのようなナアマンを預言者エリシャに出会うように導いてくださり、やがては神様を信じるように導いてくださいます。2節から6節までの内容を通して、私たちはナアマンを細密に導いてくださる神様を見ることが出来ます。捕虜になった若い娘から女主人、ナアマンとアラムの王様まで、そこには神様の見えない御業が働かれ、ナアマンを神様へまで導いてくださったことです。そしてそのような細密な神様の守りと導きは私たちにも与えられているものです。そのような私たちの人生は神様の恵みでないものはないし、神様の導きの中にないものは一つもありません。そういう神様の守りと導きを覚えて、今年も神様に頼りその教えに従って歩む者になりたいと思います。

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